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本書は,ヒトという種は,生涯にわたってすぐれた学習能力を有する種であるとの前提から出発しています。
このことは,伝統的な学習感を覆すことにつながります。なぜなら,従来の考え方は,人間は放っておくと,学習しないため,社会に必要な知識を獲得することができない(学び手は受動的な存在である)というものだったからです(第1章)。
本書は,これとは異なり,ヒトは,問題を解決をする際に,場当たり的に試行錯誤をするのではなく(第2章),以下の2つの認知的制約(第3章〜第7章)をうまく利用しながら,外部から伝達される知識を,内的制約と照らし合わせつつ,新しい知識へと再構成する(第8章)というすぐれた学習能力を有しているという学習理論を展開しています。
(1) 生得的な認知的制約…世界を整合的に理解したいという知的好奇心(第3章),および,持って生まれた柔軟な文法体系(第4章)
(2) 文化的な認知的制約…問題解決を容易にするために社会によって提供される道具や施設(第5章,第6章),および,他者とのコミュニケーション(第7章)
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このような学習能力を有するヒトに対する教育については,従来のように,知識を伝達すれば良いというのではなく,本書は,学習を効率的にする認知的制約の負の側面(日常生活の中で学ぶ知識に紛れ込む偏見や誤り)を取り除いたり(第9章),学習者の能力の高さを評価し,「学習者同士のやりとり」を促し,「間違うことを尊重」し,「教師も答えのわからない問題に取り組む」ことを通じて,お互いに学び合うという教育を薦めるべきであるとの提言を行っています(第10章)。
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特に「まちがうことを尊重する」という見出しの下で紹介されている例(181-183頁)は,まさに感動的であり,「よい誤り」は,教師も褒めるべきであり,生徒同士でもきちんと評価されるのだということを教えられました(出典:
糸井秀夫=西尾恒敬『はみだしっ子が笑った−わかる授業への道』あゆみ出版(1977))。
また,本書が,子供自身の生得的な「言語能力」や,社会が提供している「文化」について,それらを学習を促進するための適切な「認知的制約」として位置づけている点も新鮮に感じました(カラオケという制約があると,伴奏なしで歌うよりも上手に歌えるという例(92−95頁)も,カラオケ好きの人には説得的でしょう)。
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私は,本書を読んでいて,幾何学でよく用いられる補助線や,パズルを解く際のテンプレートも,実は,適切な「認知的制約」だったということを実感できました。そして,教師のすべきことは,学習者にとって,専門的知識の理解を妨げる状況が生じた場合に,適切な「認知的制約」をヒントとして与えることだということも理解できたように思います。
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以上のように,本書は,学習とはどのような認知的制約の下で行われているのかを解明した上で,すぐれた教授法を提言するものであり,教育に携わる全ての人に本書を薦めたいと思います。
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