主人公タナーは言う。道徳的情熱を知る前(悪がきの頃)は、「養鶏場に迷い込んだ狐」なみの道義心しか持ち合わせていなかった、と。陽気に人を楽しませる、ショーの侮れない語感の一例である。
だが勿論、思想こそがこの男の持ち味だ。
「生命は幾世代もの苦しい進化の過程を通じて眼という素晴らしい器官を生み出した。・・だから以前なら命取りになっていた無数の危ない目にもあわずに済むわけだ。ちょうどそのように、今や生命は心の目を生み出そうとしている。これが見るのは現実の世界じゃない、生命の目的だ。それが見えれば、個体は今のように近視眼的な目標を勝手に定めて肝腎の目的を妨害したりせずに、ひたすらこの目的のために進む事が出来る。」
「私にも何にも増して面白い瞑想の種がある。すなわち、生命だ。自らを瞑想する力をますます大きくしようと努める、他ならぬその力だ。
・・満足に動き回るだけなら、この半分の大きさの頭しかないねずみにも出来る。いいかい、頭があるのは、行動する必要からではなく、行動を意識する必要からだ。」
「生の力は私の中で働いて、より広く深い自己意識とより透徹した自己への理解を求める。」
「単なる自分ひとりの健康や快楽や自分ひとりの為の財産を求めて、幸福だった事はない。」
「ヨーロッパ中の快楽を引き回されるくらいなら、馬鹿なイタリア人の書いた地獄に落とされる方がましだ。」
理知への積極的な信仰があれば、デカダンスをものともせずに仕事が出来るのだという事実を掲げた。このショーをウィルソンが受け継いで、ショー主義は活ける精神の血脈である。
ショー復興にぜひとも協力して欲しい。
「復刊ドットコム」というサイトで、ショーの復刊特集が組まれている。どうかそこで清き数票を。