京都文化に残る我が国独自の精神性に憧れている人。芸術作品として仏像や建築などを情緒的に愛好している人。俗界とは違う美の伝承都市として京を思っている人。このような京都マニアには、この本は、不快かもしれない。
のっけから京都を空襲から守ったウォーナーの美談が事実ではなかったと否定される。資料に基づいた事実への直視がここにはある。
また京の都の設計も我が国人の自立した仕事ではなく、渡来した新羅の秦氏の企画に基づくという。秦氏の残した鳥居からの推理である。
秦氏がもたらした自然暦(夏至や冬至の太陽の位置など)から、京の寺院・神社の造営場所や向きが決定された。また占星術・陰陽道などから割り出される鬼門や裏鬼門などを考慮して、造られた寺・寺院が多いとのことだ。
小見出しでこれらの言葉が出てくると、いかがわしさを感ずる向きもあろう。しかし著者はこれを今の日本で通用すると言っているのではない。当時の為政者が、事実として、それによって事を判断していたのだと主張している。これも文献によって裏打ちされている。
極端な民衆派の如く書いている部分も、良く読むと歴史の事実からの結論と見える。
一読だけでは、京都を愛おしみたい人の、貴族趣味的な優雅な気分は壊されてしまう。しかしよく読めば、京を重層的に見る視点を与えれてくれる好著だ。
とくに庭園を書く時の京への情熱的な思い入れは際だっている。造園家の2巨匠、夢窓疎石と小堀遠州の作品を解説している段では、その本領が発揮されている。言及されている庭園だけでも、本書を片手にゆっくり拝観したいと思った。