『
釣り上げては』(2000年)で著者の日本語の美しさに魅かれて以来、その著作を折々に手にしてきました。この『亜米利加ニモ負ケズ』(2011年)も、著者の綴る言葉の一片一片が読む私の心に染みわたりました。
その日本語はしなやかであると同時に実に堅固。瑞々しくかつ練達。
追いたてられるかのような日々の暮らしの中で日本人自身が散らかし置きざりにしてきてしまった言葉のひとつひとつを、著者が後からやってきてゆっくりと、そして懸命に掬い上げ、その忘れ去られた原石の美しさを今一度引き出そうとするかのように磨き上げて私たちにそっと差し出してくれている。著者の綴る達意の日本語文は、私たちの目の前でまさにその光り輝く姿を見せるのです。私たちに猛省を促す毅然とした態度を感じさせる日本語を前にして、私は居住まいを正しながら読み続けました。
さらに著者は冷静で思慮深い洞察力、大胆で雄大な想像力、広範で膨大な知識を備えていて、それが文章に深みと味わいを一層与えているのです。
宮沢賢治の詩『雨ニモマケズ』とヘロドトスの『歴史』にある飛脚に関する記述の類似性。
平安期に小野小町が「花の色はうつりにけりな…」と詠んだ歌にある花と、19世紀にアメリカ人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズが書いた詩『実行』にある薔薇の花との共鳴。
シェイクスピア『ヘンリー四世』のフォルスタッフの台詞にある「錆(さび)」と、山口誓子や中村草田男の句にある「黴(かび)」に共通する匂い。
時空を越えて数多(あまた)の人びとが考え綴った言葉の数々に著者は、人間が根っこにもつ感性には揺らぎも違いもないのだということを感じ取っているのです。
そのことに気づかせてくれたこの書に、私は大変大きな感銘と感謝の念を抱きました。