『春は青いバスに乗って』が特に面白かった。大暴れしている最中に警官を殴ってしまい、警察の取り調べで、「私は興奮してつい後ろにいた人に手が当たってしまいました。それが警官とは知りませんでした」という必死の弁解に対して、警察官が、「だっておまえポリ公って叫んでただろ」というのが漫才みたいである。人を笑わせる才能においては、太宰治を超えて三遊亭円朝に匹敵する。言葉に無駄がなくキレがある。『潰走』では、入居時に上品だったアパートの大家の老人夫妻が、家賃滞納で態度が豹変する描写もうまい。この作家は空想して書くよりも実体験のほうがずっと変化に富み重要なので、私小説作家であることに実益があるのだ。『腋臭風呂』腋臭の男と銭湯でいつも出くわしてしまう話。貧しい都会生活の中では、銭湯で気に食わない人と会いたくないのに、お互い時間の都合でいつも一緒になってしまうことが、よくあるのだ。
『二度はゆけぬ町の地図』というタイトルが秀逸。タイトルは本の顔であり、才能に比例するのだ。誰にでも二度と行きたくない、心の傷がうずく町があるのではないだろうか。