氏は、「神の見えざる手」をねじりあげるという大胆不敵な学説で、学会に躍り出たようだが、一般社会でも恐れられるようになったのは、『貨幣論』(1993年)で貨幣の無根拠性を暴いてからだろう。
本書はそれから7年もたって、ようやく出版されたわけだが、テイストとしては、その前の『ヴェニスの商人の資本論』(85年)に似て、『貨幣論』よりは遙かに読みやすく、また面白い。あまりにも面白いので、つい興奮してねじりあげるだの暴くだの大げさな言葉を使ってしまうくらいである。が、誤解しないように断っておいた方がよいだろう。本書の面白さは、決して大げさな言葉遣いや、当てこすり、あるいは某国立大学総長のようなウグイスの谷渡り的文章(結局ウグイスは見えない)といったケレンにあるのではなく、むしろ誰にでもわかる言葉と論理で、抽象的な思考を取り出して見せてくれるところにある。
本書の構成は、書名と同じタイトルの書き下ろしの論文と、あとは新聞や雑誌に掲載したエッセイやコラムの再録である。岩井氏の学説をざっと知りたい人は、まず書き下ろし論文「二十一世紀の資本主義論」を読むとよい。氏の"神の手殺しの理論"も"貨幣無限連鎖論"も"差異価値説"もおよそのところは理解できる。なお、上記の3つの理論が学術的には何と呼ばれているかは知らない。" "内は評者が勝手に名付けたここだけの名称だ。
あとがきに、「本書には(中略)比較的多くの読者に開かれていると思われるものを集めてみた」とあるのは有り難い。どだい学会用の論文なんか、まるで歯が立たないのだから、氏の開かれた文才がなければ、"神の手殺し理論"など評者には匂いさえ嗅げない世界であったろう。
で、21世紀の資本主義がどうなるかだが、読めば誤解のしようもなく明確に書いてあるので、ここでは言わないでおく。そのほかのエッセイはどれも面白い。強いて挙げれば「美しきヘレネーの話」「ボッグス氏の犯罪」「ヒト、モノ、法人」「憲法九条および皇室典範改正私案」だろうか。
ところで、貨幣は実在するのだろうか。評者は、実在するという立場をとる。ただし、人間世界の内側でという条件を一応付けるけれども。でも人間が人間として生きられるのは世界の内側だけ。それが人間的実在じゃないだろうか。貨幣は人間的実在の最たるもんだろう。だから、バブルも人間の本質。これが、本書の読後感だ。
(ジャーナリスト 野口 均)
(日経ビジネス2000/6/5号 Copyright©日経BP社.All rights reserved.)
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しかし、この本のタイトルになった「二十一世紀の資本主義論」(書き下ろし)は、それらの意見が前提としている「グローバル市場経済」自体のパラドックスについて書かれている。
著者は、「世界がまさにアダム・スミスの時代になったことを実感している」21世紀に対して、1)アダム・スミスの「見えざる手」は、市場経済が「不純」であったが故にかろうじて働いていたこと(ここで「不純」とは、規制や不確かな情報など市場の自律を妨げるもの)
2)グローバル市場経済とは「外部」を失った純粋な市場経済であり、純粋で効率化されたが故に、「アダム・スミスの見えざる手が力を失っていく」時代であること を述べている。
私は、この本を読んで、インターネット・ビジネスにも同じ論理があてはまるのではないかと考えざるを得なかった。だれとでも、安いコストで瞬時につながるという環境においては、情報が価値になるのだろうかと。著者の論が適用されるならば、インターネットがビジネスになるのは、インターネットにつながっていない部分(外部)を必要とするのではないだろうかと。
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