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二人であることの病い パラノイアと言語 (講談社学術文庫)
 
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二人であることの病い パラノイアと言語 (講談社学術文庫) [文庫]

ジャック・ラカン , 宮本 忠雄 , 関 忠盛
5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容説明

初期ラカンを理解するために必読のガイド。構造主義からポスト構造主義へと20世紀の思想潮流を切り開いた精神分析学の泰斗J・ラカン。比較的読み易い初期論文5篇から、巨人の難解な思想の原点に触れる

内容(「BOOK」データベースより)

フロイト精神分析を構造主義的に発展させ、二〇世紀の思想潮流にあって、確固たる地位を占めたラカン。本書は、ラカン最初期の一九三〇年代に発表された五篇の論考を収録。「症例エメ」「“吹き込まれた”手記」「パラノイア性犯罪の動機」の三篇は、症例報告の記録性があり、明澄ですらある。現代思想の巨人の哲学の出発点を探るための必読書である。

登録情報

  • 文庫: 192ページ
  • 出版社: 講談社 (2011/12/13)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4062920891
  • ISBN-13: 978-4062920896
  • 発売日: 2011/12/13
  • 商品の寸法: 14.8 x 10.6 x 1.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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14 人中、13人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:文庫
 この論文集『二人であることの病い』が、精神分析家ジャック・ラカンの理論的な出発点になったということがしばしば指摘される。しかし、それはいかなる意味においてなのだろうか。1930年代のフランスの精神医学の潮流のなかで書かれたラカンの一連のパラノイア論は、その後の彼の理論とどのような関係をもっているのだろうか。
 本書に収録されている1930年代の理論と、1950年代以降の理論の内在的な関係を理解するためには、本書の精読が必要である。しかし、フランス精神医学の伝統に属する格調高い筆致で書かれた本書は、精神医学の専門家ではない向きには読みづらいものであるかもしれない。

 幸い、本書には、その構想の全体を要約しうる平易な一節があるので、これを参照することが読解のために役立つであろう。
 ラカンは妄想について論じながら、次のような比喩をもちだしてくる。

 「歌詞が旋律を動機づけているどころか、旋律のほうが歌詞を支えているのであり、場合によってはそれら(歌詞)の無意味さを正当化している」(88頁)

 つまり、こういうことだ。精神病患者でみられる妄想は、ときに荒唐無稽なことを表現している。それは無意味性を特徴とするシニフィアン(歌詞)である。しかし、シニフィアンだけでは妄想は成立しない。シニフィアンに妄想としての「確信」を与えているのは、ある種の力強さ(強度)をもった旋律(熱情性)である、というのである。
 後に1950年代のラカンは、精神病の現象を、本来は象徴界に属するシニフィアンが、現実界のなかに解き放たれる現象として捉えた(Ecrits、p.583)。つまり、精神病は象徴界と現実界の結合構造によって生じるのである。ここから振り返ってみると、1930年代のラカンはすでに、妄想を「歌詞と旋律の結合」として、すなわちシニフィアンと強度の絡み合いとして捉えていたといえる。

 この頃のラカンはこのことを主張しつづけている。たとえば、シュルレアリストの雑誌に寄稿した「様式の問題」(本書に収録)では、シュルレアリスムの表現は「根底が非合理であるとはいえ、顕著な志向的意味作用と非常に高い緊張的伝達力をそなえている」(124頁)と言われる。ここにもシニフィアンと「力」の出会いがある。
 
 この一連の論文に前後して提出されたラカンの学位論文『人格との関係からみたパラノイア性精神病』でも、事情は同じである。そこでは、無意識の直接的表現である妄想が、妄想としての確信をもつためには「熱情性」が必要であると言われている。
 (なお、『人格との関係からみたパラノイア性精神病』には、翻訳の修正の必要な箇所が散見されるが、本書『二人であることの病』の翻訳はきわめて正確である。)

 有名なパパン姉妹の症例(本書に収録)では、ラカンはパラノイア問題に触れて次のように述べている。
 「パラノイアに関する古典的な記述と説明にひそむ欠陥。それは、構造についてしか恒常性がないのに、パラノイア性妄想の安定性を主張することによって、そういう変動の存在を重要なものと認めさせてくれなかった」(104頁)
 要するに、構造(シニフィアンの側)が不変であっても、その病態は強度の動きによってさまざまに変動しうる(だからこそ症例エメは自罰によって治癒したのである)。

 ラカンは、パラノイアをはじめとする精神病を、知性やシニフィアンだけによって理解しようとする論者たちを徹底的に批判する。その批判の標的は、ラカンが後に「精神医学における唯一の師」と呼ぶクレランボーにまで及ぶ。クレランボーは、言葉が頭のなかで勝手に乱舞してしまう「精神自動症」を発見した。この考え自体は、ラカンの「シニフィアンの自動症」とそれほどかわらない(もちろん、ラカンはクレランボーから影響を受けたのだ)。しかし、妄想がどのように作られるのかという点について、クレランボーとラカンは決定的に対立することになる。クレランボーは、妄想は、精神自動症によって生じた諸々の幻覚に対して病者がみずから二次的につくりだした「説明」であると考えたのである。つまり、クレランボーは妄想のなかに理性的なものだけをみていた。一方、ラカンは妄想のなかにシニフィアン(言葉)だけでなく享楽を、対象aを見出していくのであるが、この「構造と力の絡み合い」とでも言いうる構想は、本書においてすでにその萌芽がみられる。

 本書はこの意味において、ラカンの精神病論にとっての原点となったのである。
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形式:文庫
ラカンと言えば、まるで理解されることを拒否するような文章で、意図的に、読む人を煙に巻く印象があるが、この本は、初期の文章と言うこともあり、読みやすい。
一見すると、何気ない精神分析医の文章のように読めるが、以下のような記述の箇所に、後のラカンの思想の萌芽が読み取れる。
スピノザの言葉を引用して論文を締めくくっている部分。
”精神障害は、けっしてそれだけを切り離すことはできない。”と語る部分。
パラノイアの分析に、芸術の様式との類似性について語る部分。
精神分析を行う際は、単に目の前の症状や家族との関係だけではなく、その文化の諸形態を考慮する必要がある、と語る部分。
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2 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:文庫
演劇としての犯罪。
確かに一見、普通の日常生活を送っていたかに見える使用人姉妹が起こした主人たちを殺し、両目をえぐり取った激発的犯罪は、
かなりほとんど全ては互いに互いを見た閉じられた鏡像関係で説明できる。
互いに互いを見た遠近法でロールモデルの模倣で説明がつく。
しかし、太古からの罪には目をえぐるべし。
あるいは罪の前に頭を下げるこれまた太古から続く身振りには、分析者のあてはめる二次元の絵画の配置に、遠近法におさまらないものがある。
これからも続いていく人間の営みの中で抑圧されたものの解放のための戦い。
目をえぐるとは、相手にもその不自由を抑圧を体験させるとはそういうことだ。
ただ互いにロールモデル演じただけでは説明つかないではないか。
有効性超えた象徴性には人間の背負ってきた歴史がある。

四次元を語ると言ってその実、三次元の固定したものしか語れないある限界。

人間の背負ってきた歴史。
ラカンでさえも、そこには届いていない。精神分析の限界。
精神分析とは何かを教えてくれる、その限界も教えてくれる傑作。
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