この「予定不調和」では、ある特定の技術が単独で進歩した場合に生じ得るかもしれない、社会的・倫理的不調和を、「あえて」誇張気味に描いている。
トピックスとしては、例えば、エンハンスメントといったキーワードに絡むものなどだ。
その「あえて」の誇張と同時に、単独ではなく、より広範な、全体としての科学の営みの進展によって、調和への道筋が見えてくる可能性を繰り返し主張している点は本書の特徴だろう。
そして、その調和に向けて、特定の分野でなく、多様な分野、そして社会との関わりを指摘している。
しかし、こういうことだけ書くと、科学者がんばろうぜ!的な、松岡修造的、暑苦しさに見えるかもしれないが、実際にはそうでもない。
「科学者へのエール」と、書いてみたが、このエールは、どこかアンビバレンツな様相を呈しているように思える(そこが、ある種の魅力でもあるんだが)。
科学の不調和を正す一つの方法が、同じ「(別分野の)科学の進歩」であるというジレンマ、ある種の諦念として見てとれると思う。
「どの道、科学は進んじまう。それは、もうどうしようもねえ。もう、そこは踏まえちまって、どうするか。別の科学を使って、どうバランスとるか、そういう話を、色々な人ととするしかねえ。さてどうする?」
という問いかけだ。
しかし、その諦念の上にある、ある種のポジティブさ、だからこそ科学者の皆さんももう少しがんばりなましょうよ・・・という、そういうエールでもある。
その科学者へのエールって言ってみたけど、それは、
「科学に調和をもたらす主役(の一人)は、(結局)科学者あんたらなんだ!」
と同時に、
「分野に籠ってねえで、あんたらも、もうちょっと頑張って、外に目を向けたり関係を作ったりしましょう。そうしないとバランスが崩れる。不調和がまってる」
「科学者の分野引篭り」をどう解消するか?
有体に言っちまうと、異分野コミュニケーションを通じた、特定分野におさまらない、トータルの科学パッケージを議論していきましょうぜ・・・ってことにまとめられるかもしれない。
だが、ここまで言うと随分と安っぽく聞こえてしまうが・・・しかし、結局そういうこが求められてるんじゃないかと思う。
著者のある種の繊細さと期待が感じ取れる本だと思う。