敗戦後常識となった合理主義、生命至上主義、個人主義では、3.11以後の危機を克服することは出来ない。新しい時代には、新しい発想が必要であるという論考である。
国家や社会が弱体化するときは、頭から腐る。日本のエリートに質的低下が起きている。現代日本は、数値化万能となりその高いものが「勝ち組」を構成する。しかし、現実は数値化不可能の部分が圧倒的に多い。それを汲み上げることをしないので基礎体力が低下している。
しかし、原発事故で首都圏から多数の外国人(主に欧米人)が避難したが圧倒的多数の日本人は今いる場所に止まり仕事を続けた。
又、電力危機に対して日本は法令でなく、市場メカニズムでもなく、自粛で対応した。
日本人には、近代市民社会(新自由主義的アトミズム)を克服する力がある。
この本において、人として揺さぶられる箇所がある。
鈴木宗男氏収監の四日前、森元首相(自民党)、鳩山元首相(民主党)、福島社民党党首らが都内のホテルに集まり「送り出し会」が行われた。という件である。
もう一つ、考え方として腑に落ちるのが「歴史共同研究」についてである。
日、韓、中の共通の歴史認識が構築できるなどという幻想に捉われず、徐々にこのテーマを外交案件から外すための「通過儀礼」にするのだ。
更に、中国、韓国の双方が「日本」を「敵のイメージ」として対象に定めている状況において東アジア共同体を追い求めることは幻想である。「乾いた外交」の展開をすべきである。
内容は、単行本に収録されていない論考であり興味深いものとなっている。