著者の久保義明陸軍中尉は、日本陸軍の飛行第14戦隊(重爆)にて太平洋戦争の開戦時から従軍し全戦域に転戦。海軍の陸攻隊に同じく非常に高い戦死率・損耗率の中で、決して名機とは言えない97式重爆撃機のベテラン操縦員として終戦まで生き抜いた数少ない航空士官である。余談ながら、陸軍士官の戦記というものは海軍士官と少々異なり、極めて簡潔で無駄が無いと常々思っていたが、その理由は、本書中に描かれる陸軍士官学校の一分一秒も揺るがせにさせない徹底的な管理教育に拠って成された様に思える。在学中は手紙一枚書く余暇を作るのも容易でなく、言い訳や自己弁護は一切許されず、筋金入りの帝国陸軍軍人に鍛え上げられた。著者は今もって手紙には要点だけを書く癖がついているという。
昭和16年3月、台湾嘉義の14戦隊に配属、開戦時の比島航空撃滅戦からマレー、タイ、ビルマを転戦した。本書には各戦線の実戦で得た沢山の戦訓が語られている。開戦時の陸軍機の配備状況は大変劣弱で、著者の14戦隊は旧式の97重爆1型であり、新鋭の2型はまだ十分に行き渡っていない。更に深刻なのは重爆隊を援護すべき第一線の戦闘機が、ノモンハン以来の貧弱な武装で航続距離の極めて短い97式戦闘機であり、一式戦「隼」(それでも1型は97戦と同武装)は一部の部隊のみの装備であった。その為必然的に重爆隊の長距離攻撃は援護無しの丸裸で敢行する事となり、緒戦時に沢山の熟練者を失う結果となった。著者は海軍の零戦を、陸軍でも配備して欲しかった、と回想している。
また戦争の全期間を通じて非常に発動機故障や航法の未熟に依る損失が異常な程多く、これまた沢山の機材・搭乗員を喪ってしまっている。戦場以外で散る将兵の無念はいかばかりであろうか。
そして部隊は昭和18年2月末、ラバウル対岸ココポに進出。既にソロモン航空戦は劣勢に移りつつあり、著者は進出の時点で危惧を抱いたという。今まで全く戦略に無かった南方の島嶼作戦に、準備も知識もなく投入された事。航空機の能力、補給、航空基地能力の格段の劣勢。特に幾ら弾丸を撃ち込んでも落ちない敵重爆と、一撃で火達磨になる味方重爆。それでいて武装は米軍機に相対するだけの、大口径、多数装備が叶わず、操縦者のサポートとなる、機上レーダー等の航空精密機器には絶対的な差があり、陸軍が貫いた精神至上主義ではもう既に如何ともし難い現実が其処にあった。
胸を締め付けられるような情景が描かれている。14戦隊が多きな損害を出した、昭和18年7月4日のレンドバ島方面攻撃の際の事である。『すぐ隣を飛んでいた第二中隊の堀部中尉機が、紅蓮の炎につつまれた。ぐっと速度の落ちた堀部機は、搭乗員が正操席の後ろの窓に顔をすりつけ、さかんに手を振って別れを告げている。しかし、正操はなおも必死に機を保とうとしている。すぐそこに、友がいる。しかし、救う手段はない。手を振って励ますが、それも空しい。機長の堀部中尉も、笑顔で敬礼し、大きく手を振っている。私は、いまでも目をとじてこのときのことを思い出すと、一緒にジャワで苦労して買いもとめたカメラをかざしていた堀部の姿が映る。お世話になりました――という彼の声なき声が聞こえてくるのである。まもなく、力尽きた堀部機は、スーッと急激に遅れはじめ、あっというまに、空中爆発を起こした。黒い破片がパッと散ったかと思うと、次の瞬間には、もうなにも、空中には残っていなかった。』
そして連日の攻撃に、沢山の仲間が遺書も遺さずに、平常と変わらぬ儘に出撃して還らなかった。戦火熄んで生き残った著者の、寂寥感の籠った回想は我々に当時の若者達の無惨な程の美しい姿を、悲しい程に灼き付ける。『それらの若者たちは、なぜ、そこまで己を捨て、国に殉ずることを栄誉と考えたのか……。』
著者は陸軍航空隊の大きな欠点として、上層部の無理解を挙げる。軽戦重視から重戦化への立ち遅れ、爆撃機の無防備と軽武装等、早くから前線部隊の切実な要望は一向に改善されず、用兵面でも航空主兵が認識出来ず、歩兵の協同兵器というう観念を棄てきれなかった(戦車もまた同じ)。戦略も戦術も、開戦前の想定に大きく異なり、指揮官の側が、変転する戦況についていけなかった。また上層部ではいつまでも陸軍海軍のいがみ合いが続いていたが、前線部隊同士では両者よく協力していたという。
『とにかく有効な攻撃はしたい――海軍機のように、魚雷でもつめたらと思う。五十キロや百キロの陸用爆弾を落としても、揚陸物資に損害をあたえる程度だ。(中略)それにしても、当時の陸軍機では、艦船相手の戦いは、爆弾も訓練も、方向ちがいであった。』
著者はニューギニア戦線での激烈な任務で身体を壊し、マラリアに罹かった儘、浜松の教導飛行師団に転出する。内地で終戦を迎えるが、同期も、先輩も、教え子も、非常に沢山の戦死者を出している。著者以外の知己は皆、幽明境を異とするとの言葉の儘で、戦後遥かな時を隔てても、若い儘変わらない彼等の笑顔は、何時までも瞼に浮かんで消えないという。