本エッセイは著者が50台後半の時に書かれた由で、それまでの人生を恬然と振り返りながら、自身の経験に基づいた知恵・社会批判あるいは思い出を披瀝する形式になっている。無論、押し付けがましさは全く感じられず、本当の"自然体"である。概して、男性に手厳しいのは甘受せねばなるまい。「老い」を意識して書かれている様子も窺える。
その「老い」に関しては以下の名言がある。
<すてきな老い方>
(1) 人さまが自分のしゃべるのを、黙って聞いて聞いて下さることを「コワイ」と思わないといけない。
(2) 「年甲斐がない」との自覚がある人も「若い者に負けるものか」と不屈の闘志に燃える人も各々の個性であり、そっとしておいてあげれば良い。
「老後の生き方」に関する指南本を出している作家・学者達が存在するが、それとは真逆の姿勢で非常に好感が持てる。それぞれの人が持つ境遇や考え方の多様性を受け止めようとする懐の広さを感じる。また、同一人物であっても、人生の様々な年代において嗜好や能力・立場が変り得て、それに臨機応変に対処する必要性が、主に自身の体験に基づいて語られている辺りも含蓄がある。題名はここから採られているのであろう。逆もまた然りで、一人の人物に対する評価も、見る人や時代によって異なり得る事も教えてくれる。思い出話の中にもそうした傾向が窺えるが、特に祖母に対する思い出の中には「トイレの神様」を想起させる逸話も含まれ味わいがある。「好きゃねん大阪」における大阪人気質分析も面白い。
「老い」を念頭に、必然性・建前よりも自然体・柔軟性に比重を置いて、自身の人生体験を滋味豊かに綴った好エッセイだと思う。