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5つ星のうち 5.0
正定と禅定の違いの真義,
By vivekatrek (大阪府枚方市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 中部(マッジマニカーヤ)後分五十経篇〈1〉 (パーリ仏典) (単行本)
片山訳のパーリ仏典の長部と中部を各々最初から4冊ずつ読んで気づいたことがある。それは、「色界四禅定」と「無色界四禅定」の効能書きはあるが、修行に役立てる具体的な説示が無いことである。ブッダダーサ師は法話『神通力と奇跡』において、「私たちのパーリ語三蔵は、ある時代にシンハラ語(スリランカの言語)からパーリ語に書き写され、そしてシンハラ語の原本を焼却したことが明らかになっている」と述べており、馬場紀寿氏は『上座部仏教の思想形成:ブッダからブッダゴーサへ』において、<ブッダゴーサは『清浄道論』によって、如実知見すべき「無常な諸法」を切り捨てて「永遠の法」だけに専念させるという間違い(極端な逸脱)を犯した>ことを丁寧に論証している。 これらは、仏典やアッタカターを安易に受け入れることへの警鐘と受け止めるべきである。 そう思っていると、パーリ仏典中部の五冊目である本書の第117「大四十経」で<聖なる正定とは、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念である>という表現に遭遇した。読み流すと把握しにくいが、整理すれば、明確な論理が見えてくる。そこには、パーリ仏典中部『中分五十経篇2』第78「サムナムンディカ経」に説かれた「善の十法=八正道+正智+正解脱」と、この「善の十法」を縁として現れる「善の十業」を合わせたものが「二十の善」である。同様にして、「不善の十法=(邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪精進・邪念・邪定)+邪智+邪解脱」と、その「不善の十法」を縁として現れる「不善の十業」を合わせたものが「二十の不善」である。これで合計四十になる。なお、別のレビューでも述べたことだが、正智=正見n(n≧2)であり、正解脱=正見final(final≧2)である。 この経典の内容を比喩的に表現したものが、パーリ仏典長部『大篇』第18「ジャナヴァサバ」経の<七の禅定の眷属(p.89)>の曖昧な文章に見ることができる。 さて、世尊が「大四十経」で教えた「禅定」は「正定」だけである。四沙門果に対応させれば、「シュダオン(預流)の正定」・「シダゴン(一来)の正定」・「アナゴン(不還)の正定」・「阿羅漢の正定」の四種類となる。従って、バラモン教を信じる(戒禁取の)人々が初めて世尊の法話を聞く場合に、世尊が彼らの常識に配慮して、従来の知識で法話を理解できるように「色界四禅定」と「無色界四禅定」という表現が用いられたのだと思われる。
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