下図は、主にパーリ仏典相応部経典および漢訳雑阿含経で示された世尊の教法と論理だけに基づいて整理したものである。
これにより、三十七菩提分法の七科と八正道の対応関係が明確になる。なお、「七覚支」とは「正念」が働いている「四念処」に他ならない。
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四正勤: ←―― 断断 ・ 修断 ―――――→ ←―― 律儀断 ・ 随護断 ――→
(身業 口業 意業) (身密 口密 意密)
四念処: 身 → 受 → 心 ――――――――――――――――→ 法
七覚支: 念・択法・精進・喜・軽安・定→捨
( 身 受 心 法 )
八正道:正見1 ⇒正思惟⇒正語・正業・正命⇒正精進⇒ 正念 ⇒ 正定 ⇒ 正見2
四神足: 欲 ――→ 心 ―――→ 勤 ――――――→ 観
五根/五力: 信 ―――――――→ 精進 ―→ 念 ―→ 定 ――→ 慧
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上図の八正道の意味は、修行の進み具合に応じて、八正道を何度も繰り返し、あたかもスパイラルを描きながら拡大するように、修行が拡大・発展することである。最初の正見1から始まり、一回目の八正道を終える頃には正見2へと進化しており、それが正見1に置き換わって二回目の八正道を終えると正見3へと進化する訳である。
この観点を把握できなければ、本書の第78「サムナムンディカ経」を理解するのは難しい。
ウッガーハマーナ遍歴行者の「無敵の沙門は四の法を具えている」という主張に対し、世尊は「無敵の沙門は十の法を具えている」と説く。十法とは「八正道」のことであり、十法の「正見」は上図の「正見1」であり、「正智」は「正見2」であり、「正解脱」は「正見final」(final≧2)である。
世尊は、「戒とは身業と語業です」(p.107)と述べ、「不善の戒」・「不善の思惟(思惟とは意業のこと)」・「善の戒」・「善の思惟」の生起と消滅(p.105〜106)を説き、その消滅の実践を「四正勤(or 四正断)」(p.107〜110)で説く。
「四正断」がどうして「十法」すなわち「八正道」に対応するのか? その答えが上図である。ただし、口業は語業のことであり、三業と三密に分けたのは密教の使い分け表現が良いと思われるからである。