蓋し語学というのものにはプロとかどうとかいう概念を使うべきではない。また通訳や翻訳は訓練で作り出すものではなく、元来センスで決まってしまう職業である。ある意味、生まれつきそうなる素養とセンスがなければ、いくら頑張っても無駄なものなのである。それに挑戦してみても仕方がない気がする。内容的には、ほかの本でもそうだが、思考の転換法に気づかされる面はないとはいえないが、この類の本を読んで、実際に「養成」に役立つパターンは少ない。せいぜい学習者どまりの読者がしたり顔で「そうだったのか」とか、要はお慰みの内容が多い。通訳者翻訳者というのは、あくまでも自分のセンスや注意力をとがらせることで成り立つ職業であり、作家と同じく実際には気が付いたらなっていた類の職種である。なるための勉強というのは無価値であるし、通訳者や翻訳者の職業性に対する冒涜であると思う。実際本人たちでさえはっきりと自分の能力を分析できていないのであるから、こんな本がかけるわけがないのだ。書いてあるのは、そこまでいかないとわからないことばかりで、低レベルの学習者がすぐにピンと来るものではないか、ありきたりの道具論だけ。中国語がメジャーになってきたから、こういう本が多く出てきているが、はっきり言ってマニュアル時代の慰みものとしか言いようがない。マニュアルで勉強して、常に変化する言語に向き合うことのできる、柔らかで臨機応変な翻訳が身につくか、それを想像すれば、誰でもこういう本がどういうものが想像がつくはずである。同様に出版されている必携やトレーニングブックなどについても、もう少し考えて企画を作ってほしいものである。