「中国料理の特色は、どの世界の料理よりも、時代とともにそして政治の色あいや人間の流れとともに、ページをめくるように変わっていくものだ。もう前のページとは書いてあることがまったく違っていても、いまのページが勝負なのだ」(文庫版への序)
私の食の好みは、和食を別格として、こじゃれたフレンチよりは家庭的なイタリアン、イタリアンよりは中華味、といったところなのだけれども、はてさて、お前は中華味=中国料理を判っているのか、と問われると、須臾熟考し、最後はバンザイしてしまう。それもそのはず、中国料理とは、北京、広東、上海、四川の4種類があって、四川料理は辛い、といった程度の知識しかなく、そもそも、何故4種類あるのか、など大して考えもしなかった。だが、当書で「中国料理は一国一料理の概念には入らない」と指摘され、合点がいってしまう。
私の憧れる「満漢全席」も、香港料理の一種ぐらいしか思っていなかったのだが、「満漢全席は(満族が)漢族に作らせた満漢融和のための政治的料理でもあった」と解説されると、俄に中国特有の“政治(歴史)と料理(味)”の関係がクローズアップされてくる。それは、たとえば「返還後の香港では、味覚の核にあった個性的な臭みが消え、下手な味の太い柱が消えてマイルドになりつつある。それは反共産主義の牙城としての核を喪失したからだろう」といった勝見洋一氏の痛烈な批評にも表れている。ウ〜ン、素晴らしい味覚と政治的嗅覚…。
それにしても、勝見氏と中国の関わりは不思議である。あの〈文化大革命〉の真っ直中に中国を訪れ、中国美術品の鑑定等をしていたのだから…。さらに、その時期に「革命の味」から「最も洗練された中国料理」まで堪能していたのだから…。文庫版で復刻した本書と、『
匂い立つ美味』(「
もうひとつ」を含む)及び『
怖ろしい味』を、私は勝手に“勝見洋一三部作”と呼び慣わしたい。