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広東では共産党の組織化が早くから進んでいた。1924年から27年までの「第一次国共合作」時代には、「広東派」は共産党内の最多数派であった。1927年、「容共」から「反共」に転じた蒋介石が「四・一二クーデター」を起こすと、追い詰められた広東共産党は武装蜂起に走るが、ほどなくしてその活動基盤を根こそぎ失い、広東派は「党中央」の座から滑り落ちてしまう。
(引用、始め)
そして中国革命のなかで大きな役割を果たしながら、共産党中央とコミンテルンの指導のもとで大きな犠牲を払った広東の共産党は、1927年のこのときを境にして、今日にいたるまで、二度と再び政治の表舞台に返り咲くことはなくなったのである。(同書、129ページ)
(引用、終わり)
この後、井崗山でのゲリラ戦と「長征」を経て、共産党内では毛沢東が台頭して行く。
本書は地域社会的な背景を持っている。広東省政府は、政治的な思惑もあって、老幹部への聞き取り調査を重点的に進めてきた。それが本書の基礎になっている。本書が一番言いたいのは「毛沢東が台頭する以前の、広東共産党の功績を正当に評価せよ」と言ったところのようである。これまでの中国は「皇帝」毛沢東を中心にして世界が回る「正統史観」一辺倒だったので、地方党史などはそれこそ「葬られた」にも等しい状況だったのかもしれない。この根深いルサンチマンは「なにごとも水に流したがる」日本人には到底理解できないものだ(日本人の過去へのこだわりはイイトコ、NHK「プロジェクトX」止まりである)。
もっとも、本書のような話は、この国の至る所にゴロゴロしているのではなかろうか。本書は「地方党史」の体裁は取っているが、私の目には広東共産党の名流、譚一族の(いささか手前味噌な)「家譜」と見えた。
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