1984年、中国政府幹部の男は田中角栄が住む「目白御殿」を訪れ、「天皇の訪中を実現させたい」と持ち掛ける。田中は「よし分かった。中曽根(康弘首相)に言ってやろう」と即答した―。本書の冒頭で語られる「秘話」に、一気に引き込まれた。本書にはこうした日中関係史に埋もれたエピソード、或いは公開されていない記録=秘録の連続であり、読み始めると最後まで止まらなくなった。
特に読み応えがあったのが「毛沢東の天皇観」を丹念に解き明かした章だ。筆者によれば、毛沢東は、天皇崇拝が根強かった戦後当時、日本人を「味方」にするには日本人の絶対的多数が尊敬する天皇を利用した方が有利という戦略的思考を持った。この毛沢東の天皇観は歴代中国指導部の対日政策にも受け継がれ、「天皇」の取り込みが中国指導部にとって対日工作の最終目標だったことが明らかになる。この点を無視してはもはや日中関係を語れないということに気付かされた。
老獪でポーカーフェイスという印象が強い中国の重鎮政治家たちでも、本書の手にかかれば生き生きとその人間性が浮かび上がる。元日本軍人を「われわれの先生」と呼ぶ毛沢東、松下幸之助に「中国を助けて下さい」と懇願するトウ小平、「炭坑節」を唄う江沢民。日本に対して複雑な感情を持ち、中国人民の感情に気を配りながら、日本との関係を破綻させてはならない。その微妙なバランスの上で繰り広げられる中国指導部、政府幹部、政治家たちの悲喜こもごもの対日外交劇も本書の魅力の一つである。
本書は日中両国の多数の政治指導部、外交関係者への取材と、膨大な資料に基づいて客観的に書かれた良書だ。中国の「天皇取り込み工作」は現在も続いているはずであり、読んだ後、早くも続編が読みたくなった。
中国共産党「天皇工作」秘録 (文春新書 712)