「わが国の上海領事館の職員が中国情報機関のハニートラップに掛かったのを苦に自ら命を絶った」とさかんに報道された時、台湾出身の評論家・黄文雄はかの国を「特務(スパイ)の国」と呼んでいました。なるほど孫子が諜報活動を重視しているように、かの国の諜報活動重視の姿勢とその方法には長い歴史と伝統があることがわかりました。
本書は中国の古典の中にある情報戦のやり方から謀略を学ぶという趣旨の本です。大昔の話とはいえ、人間の心理を巧みに利用したそのやり方は決して侮れません。現在の中国の政府高官や軍人の戦略・戦術の中に孫子が生きているのと同じように、こうしたやり方も健在である、と考えるのが自然でしょう。ただし、本書はあくまで入門編であり、実際の諜報活動はより高度で複雑であり、専門的な教育や訓練が必要と思われます。本書に紹介されている方法は、素人でも利用できるものが多いですが、一歩間違えば墓穴を掘る可能性もあることを忘れてはいけないでしょう。
こうしたテーマを扱うときは暗くなりがちですが、本文やイラストはそれを避けるような、明るいものになっているのも好感が持てました。ただ「悪だくみのススメ」のようで、どこか人を食ったような印象も受け、読者によっては不快に思う人もいるかも知れません(私は嫌いではありませんが)。
わが国の外交下手が、一般国民の国際社会への無知・無関心に原因があるのと同様に、わが国の謀略戦に対する弱さは、こうした諜報活動に対する無知・無関心に原因があるように思われます。日本人はスパイ活動というと「情報収集」ばかり連想する傾向がありますが、実際には「情報操作(宣伝など)」もそれに負けないくらい大切なのがわかります。
ただし、そうした謀略戦に対する弱さの原因をわが国の文化に求めるのは間違いでしょう。日露戦争の時は明石元二郎をはじめ、実に用意周到に準備をして勝利を得ました。また戦国時代も各地で謀略戦が行われており、毛利元就のような謀略の達人もいました。もっとも現代の日本人はこうしたやり方を「陰険だ」と毛嫌いする人が多いのではないでしょうか。
誠実なのは日本人の美徳ですが、世界を相手に競争しようと思えば、現状のままでは大損をするだけでしょう。孫子の「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」という有名な言葉にあるように、腹黒い隣人(中国人だけに限らず)の実態と諜報活動の重要性を日本人は知るべきでしょう。こうしたノウハウは、軍事や外交はもちろん、経済活動にも使われている可能性が高いのです。本書は防諜(スパイ対策)にも活かせるはずです。
本書を入口に多くの日本人が諜報活動について学び、いつか多くの日本人が軍事・外交・経済活動など、さまざまな面で中国人を謀略で手玉に取る日が来ることを私は願ってやみません。ちなみに、前出の黄文雄によれば、中国の情報機関の弱点は「金に弱いこと」と「団結力がないこと」とのことです。