中学時代に谷川俊太郎の詩に出会い、それ以来詩と言えば谷川俊太郎の詩、というか詩というジャンルが谷川俊太郎で規定されているような感覚で10年余り過ごした自分として、この詩集は谷川俊太郎の人間宣言とも感じた。ビートル・ジョンがジョン・レノンとなり「ジョンの魂」を発表した時に衝撃が走ったという逸話に擬せられるかもしれない。
谷川俊太郎の詩作を追っていくと、詩というジャンル全体を総なめにするという幅の広さで、詩は谷川俊太郎しか読んでいないという時期が続いた。舶来の詩は所詮舶来もので、翻訳によって衝撃は緩和されていたし、原語で読めば自分との生活実感とは離れ、結局詩ではなく観念に変わりかけていたものだから、厳密に言えばそれらは詩ではなかった。
そんな自分にとってはこの詩集は、詩人が自らの青年的な皮膜を引き裂き、生身の人間の生々しさが詩句に現前するのを許した詩集として、衝撃を与えたものだった。詩人の父親が死去したことが引き金になっているようだが、自分としては詩についての「定義」が変わるきっかけになった著作として思い出深い。
今考えると、詩人の詩作全体は、二度と戻ってはこない高度経済成長の物語と、戦後日本の曲折を経た栄光の物語を補完するナレーションとして読むことができる気もする。
詩人のキャリアの転換点になったことは間違いない一冊。塩辛い言葉と心に出会えます。