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68 人中、40人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
オリジナルな書,
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レビュー対象商品: 世界史の構造 (単行本)
この大冊はオリジナルな書である。世界史の構造という概念からしてそうである。先行する試みとして、マルクスの提示した社会構成体の歴史的諸段階の記述があるが、そうして著者はそれに基本的に同意しているが、肝心の社会構成体の概念が徹底的に再考されている。「生産様式」に注目することによって分類されていた様々な社会構成体を、四つの「交換様式」の複合体として分析し直すことによって、相互関係が相当組み変わってしまわざるをえないことを明示しえているのだ。全く明晰に論じられているので、大冊中に枚挙に暇がないほど記されている、こうした瞠目すべき創見は受け入れざるを得ない。全ての章において論述も構成も明晰であるから、むしろ最も難解なのは根底にある四つの交換様式、すなわち互酬、略取と再分配、商品交換、そしてX(アソシエーション)であるのかもしれない。事実、十年前に刊行された『トランスクリティーク』において初めてこれらの四つの交換様式が提示されたとき、戸惑いを覚えた。そうして今回も、これほどの壮大な成果の基底に在るのは、たった四つの交換様式だけであることを認めたとき、このような着想がどこからきたのかを確かめざるを得ない気持ちになった。 岩波の定本でいうなら第二部第二章にある「3資本の欲動」にある記述が初出のようだ。そうして、そこで強調されていたのは超越論的認識という事であった。 〈スミスは、貨幣の起源を論じながら、その議論を通して交換関係の対称性を永久的な自然形態(本能)であるかのように印象付けている。それに対して、マルクスは経験的な歴史的遡行ではなく、超越論的な遡行によって、価値形態、すなわち相対的な価値形態と等価形態を見出した。それはいいかえれば、商品交換がけっして対称的な関係ではありえないということである。 マルクスはこのあと「交換関係」という章で、商品交換の発生を歴史的に考察しているように見える。そこで彼がいうのは、それが共同体と共同体の間で始るということである。《商品交換は、共同体の終わるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始るのだ。しかし物は、ひとたび共同体の対外生活において商品となれば、たちまち反作用的に共同体の対内生活でも商品となる》(『資本論』第一巻第一篇第二章、鈴木役訳)。しかし、これは歴史的というよりも超越論的な考察である。なぜなら、これはたんに太古に生じたことではなく、現在も進行していることだから。この「共同体」は、家族、部族から国家にいたるまで、様々なレベルにおいて考えられる。〉(P315〜316) 『世界史の構造』において、様々な社会構成体は、いずれも四つの交換関係の複合体であると見究められているが、どの交換様式が支配的であるかによって決定されると結論付けられている。そうして、支配的な交換用式の変遷には必然が見出されているが、それは超越論的な認識によるものであることを忘れてはならないだろう。X(アソシエーション)が力を得てくるのは、これはフロイトの概念であるが、〈抑圧されたものの回帰〉として了解されているのだ。略取と商品交換によって徹底的に抑圧された互酬が、より高次元での形態をとって回帰してくるのがXなのであるから。同様に、最終章で提起された「贈与による世界平和」という考えも、どのような水準の認識に基づくのかが真に理解されるまでは決してリアルな提起とは見なされないだろう。
102 人中、60人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
無残なパッチワークとしての世界史論,
By 則天去私 (大阪府) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 世界史の構造 (単行本)
本書を眺めてがっかりした。以前に『トランスクリティーク』や『世界共和国へ』を読んで大方の検討はついていたが、予想にたがわず他人の学説のツギハギばかりである。どこに著者のオリジナリティがあるのだろうか?まず、世界史を見る視点をマルクスの生産様式から「交換様式」へ転換するというのは、他でもない宇野弘蔵の受け売りである。資本主義の総体を、価値実体としての生産過程からではなく価値形態=流通形態としての「交換様式」から把握することを提起したのは、いうまでもなく宇野『経済原論』の最大の成果である。そして、この狭義の「交換様式」を互酬・再分配と市場経済の対抗関係にまで拡張し、世界史をこの3者の対立として理解したのは、宇野にポランニーを接合し「広義の交換様式」を構想した玉野井芳郎であった。柄谷は、この宇野=玉野井の理論をそのまま借用したうえで、これに、意味ありげに「交換様式D」なるものを付け加える。それは、カントの目的の国であり、フロイトの抑圧された慾動であり、超越論的な統整理念としてのアソシエーションである、というわけである。 しかしこのアソシエーションの理解そのものが少々おかしい。近年サンデルのコミュニタリアニズムが大流行しているが、サンデルによれば、アソシエーションは選好的で社会契約的な利害共同体であり、アリストテレス的な共通善に基づくコミュニティとしての共同体とは厳密に区別される。柄谷の交換様式Dは、略奪と再分配によって隠された互酬と贈与の復権であれば、アソシエーションではなくコミュニティと言うべきであろう。実際、我が国でも青木孝平などは、市場と国家への対抗を互酬的な共同体的関係性に求め、これをマルクスのコミュニタリアニズムとして評価している。コミュニタリアニズムは、カント=ロールズ的な「負荷なき自我」からなるアソシエ―ショニズムに対する批判でもある。柄谷はマッキーヴァーいらい常識的で、近年大いに注目されているアソシエーショニズムとコミュニタリアニズムとの違いさえ理解していないのではなかろうか。 結局本書は「世界同時革命」なる大風呂敷にもかかわらず、根幹はマルクス、宇野、ポランニー、玉野井そして青木に連なる理論体系のパッチワークにすぎない。そこには体系的理論としての斬新さはまったくない。かつての栄光だけにすがる、老醜をさらした柄谷の無残な末路を見る思いがした。
116 人中、59人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
文藝評論家カラタニ、最後の大仕事,
By 野火止林太郎 (大阪府) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 世界史の構造 (単行本)
『マルクスその可能性の中心』というテーマがこういう形に“結実”したことは感慨がないではない。おそらく、同書のテーマは時に螺旋を描き、時に頓挫し、こういう結果を招来したものと考えて間違いはない。岩波書店から大冊の専門書(一応)を刊行する。イッチョ上がりというわけだ。 それにしても文章が読み易くなった。それは大いなる進歩である。初期柄谷の文章は、読ませないこともないが、決して名文タイプでもないし、論理的とも言い難かった。その実、小林秀雄とテイストは異なれ、似たタイプの文章だったのである。それは、論理的なプロセスのところどころでちいさな飛躍のある文章だったと言えばよいか。 中身のあれこれに就いて、あれこれと言いたいこともあるし、それを書くのがレビューなのだが、どういうわけかそれを書くとほとんど掲載されない当サイトの掲載基準に甘んじ、以上のコメントでお茶を濁しておこう。 手放しの★5つを献じるファンや取り巻きの方々はいくら中身に就いて書いてもよいようだが・・・。 それでも、いくつか。 柄谷のカントは、ほんとうのカントか? 柄谷の思想的結実とはやはり実際にはNAMなのであって、前書きで巧妙にすり抜けて(回避して)いるその運動に就いての総括は本来必然的なものなのではないのか? 柄谷の“倫理”の気持ちがわからないではないし、またそうあってほしいが、本書全体を支配するテイストは空想社会主義のそれではないのか??? 本書を感慨抱きつつ読み終えてみて想起したのは、大江やサイードが云々している「レイト・ワーク」、晩年の仕事というものだった。みんな歳を食ったなあ。本レビューのタイトルはその意味である。
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