内容紹介
2007ミス・ユニバースの栄光は
ひとりのフランス人女性の信念によって、日本にもたらされました。
イネスが森理世を変えたのは、外見のみではありません。
美の新たな世界基準という、イネスのコンセプトが、
森理世という類まれな素材に、全てつぎ込まれたのです。
イネスは言います。
「美はすでにあなたの中にある。ただ、その美は眠っているだけ」と。
ミス・ユニバース世界大会に出場するには、まず日本代表になる必要があります。
前年秋に数千人の応募者から10~15人に候補者(ファイナリスト)が絞られ、
さらに半年をかけて、イネスにより、内と外から徹底的に磨かれていくのです。
翌春、ファイナリストたちは別人のように洗練され、美しく変身して、登場します。
視線ひとつにも、自信と魅力が満ちています。
そのファイナリストの中から、日本代表1名が選ばれるのです。
本来は、ファイナリストにしか明かされない、
イネス・マジックの数々が、この1冊に集約されています!
●本文より
私は女の子たちを朝の通勤ラッシュでごったがえす駅へ連れて行きます。
「今、あなたたちはまだこの中のひとりよ。でも私と一緒にトレーニング期間を
過ごして鍛えれば、半年後には駅の大きな広告をあなた達の中の誰かが飾ってい
るでしょう」と告げるの。
美しいドレスやアクセサリーが差し出されるのと、満員電車に揺られる暮らし
と、どちらを選ぶか、と。
私は世界大会に向かう前の森理世に「あなたがミス・ユニバースになるのよ」
と、言い続けました。さらに、「もしミス・ユニバースになったら?」とその先
までイメージをさせたの。
自分がどれくらい魅力的な人間なのかを語るなんで、日本では「自惚れている」
と言われるでしょうね。
でも世界に出てみれば何も卑下させることではありません。
ひとりのフランス人女性の信念によって、日本にもたらされました。
イネスが森理世を変えたのは、外見のみではありません。
美の新たな世界基準という、イネスのコンセプトが、
森理世という類まれな素材に、全てつぎ込まれたのです。
イネスは言います。
「美はすでにあなたの中にある。ただ、その美は眠っているだけ」と。
ミス・ユニバース世界大会に出場するには、まず日本代表になる必要があります。
前年秋に数千人の応募者から10~15人に候補者(ファイナリスト)が絞られ、
さらに半年をかけて、イネスにより、内と外から徹底的に磨かれていくのです。
翌春、ファイナリストたちは別人のように洗練され、美しく変身して、登場します。
視線ひとつにも、自信と魅力が満ちています。
そのファイナリストの中から、日本代表1名が選ばれるのです。
本来は、ファイナリストにしか明かされない、
イネス・マジックの数々が、この1冊に集約されています!
●本文より
私は女の子たちを朝の通勤ラッシュでごったがえす駅へ連れて行きます。
「今、あなたたちはまだこの中のひとりよ。でも私と一緒にトレーニング期間を
過ごして鍛えれば、半年後には駅の大きな広告をあなた達の中の誰かが飾ってい
るでしょう」と告げるの。
美しいドレスやアクセサリーが差し出されるのと、満員電車に揺られる暮らし
と、どちらを選ぶか、と。
私は世界大会に向かう前の森理世に「あなたがミス・ユニバースになるのよ」
と、言い続けました。さらに、「もしミス・ユニバースになったら?」とその先
までイメージをさせたの。
自分がどれくらい魅力的な人間なのかを語るなんで、日本では「自惚れている」
と言われるでしょうね。
でも世界に出てみれば何も卑下させることではありません。
内容(「BOOK」データベースより)
日本人にミス・ユニバースの栄冠を引き寄せた72の魔法の言葉。
著者について
フランス、パリ生まれ、南仏モンペリエで育つ。各地のファッション業界でキャリアを重ねる。1998年、アメリカの不動産王トランプ氏より、ミス・ユニバース・ジャパンのナショナル・ディレクターとして、白羽の矢をたてられる。来日後の活躍は目覚しく、日本代表のレベルアップに貢献。03年宮崎京が世界5位、06年知花くららが世界2位、そして07年、森理世をついに頂点にのぼらせた。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
リグロン,イネス
フランス、パリ生まれ、南仏モンペリエで育つ。21歳で自身のビューティ・センター&スパを開業。スペインへ移り、各地のファッション業界でキャリアを重ねる。31歳の時、香港へ拠点を移し、IMG Modelsのアジア地域ディレクターとして活躍すると同時に自身の会社(IBG:Inter Beaute Group)を設立し、N.Y.、パリ、ロンドン、ミラノから、世界レベルの有名トップモデルをアジアのクライアントへ招致する。1998年、ドナルド・J・トランプ氏により、ミス・ユニバース・ジャパンのナショナル・ディレクターとして指名され、2003年に宮崎京、世界大会第5位、2006年に知花くらら、世界大会第2位に続き2007年に森理世を世界大会第1位、48年ぶりに日本初のミス・ユニバースを生んだ立役者。2007年の世界大会で、ベスト・ナショナル・ディレクターとして表彰される“NATIONAL DIRECTOR AWARD”を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
フランス、パリ生まれ、南仏モンペリエで育つ。21歳で自身のビューティ・センター&スパを開業。スペインへ移り、各地のファッション業界でキャリアを重ねる。31歳の時、香港へ拠点を移し、IMG Modelsのアジア地域ディレクターとして活躍すると同時に自身の会社(IBG:Inter Beaute Group)を設立し、N.Y.、パリ、ロンドン、ミラノから、世界レベルの有名トップモデルをアジアのクライアントへ招致する。1998年、ドナルド・J・トランプ氏により、ミス・ユニバース・ジャパンのナショナル・ディレクターとして指名され、2003年に宮崎京、世界大会第5位、2006年に知花くらら、世界大会第2位に続き2007年に森理世を世界大会第1位、48年ぶりに日本初のミス・ユニバースを生んだ立役者。2007年の世界大会で、ベスト・ナショナル・ディレクターとして表彰される“NATIONAL DIRECTOR AWARD”を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)