私はとくに村上春樹ファンではないが、
一人の存命の作家をめぐって、
各国の翻訳者たちが一堂に会してシンポジウムを行なうということ自体、
文化イベントとしてきわめて珍しいことだし、
当日はかなりの盛会だったらしく、その熱気のようなものは、
ただ読んでいるだけでも何となく伝わってくるので、
ファンなら本書を読まない手はないと思う。
各国の翻訳者たちの発言からは、とくにアジア諸国において、
ひとまず近代化が達成され、相対的な停滞期に入った社会で、
村上春樹の作品を同時代を代弁する声として受け止め、
受容する動きが生ずるらしいことがわかるのだが、
そこまではまあ、普通に予想がつくことでもあって、
とくに驚くべき話ではない。
ひとつ面白く感じたのは、
「グローバリゼーションのなかで」と題されたシンポジウムの終りに、
司会の四方田犬彦が、「最後に素朴な問いを出したい」と前置きした上で、
「どうして春樹のアラビア語訳やウルドゥー語訳が存在しないのか。
これは言語をめぐる政治の問題だ。世界が春樹を読む。
大いに結構だが、その場合の「世界」とは何なのか。
端的にいって勝ち組の国家や言語だけではないのか。
ここに排除されているものは何なのか。誰なのか」
と述べていることだ。近年、旧ユーゴやパレスチナといった、
いわゆる「負け組」国家・地域への丹念な取材を続けている、
四方田ならではの冷静な問いの立て方を評価したい。
実を言えば、四方田はあとがきのなかで、
打ち上げの際、さる女性の翻訳者とたまたま二人っきりになり、
「あなた本当はハルキって、全然好きでも何でもないのじゃない?」
とズバリ訊かれ、黙ったままでいると、
「だいじょうぶ、他の人には黙っててあげるから」
と言われた、という挿話まで披露しているのだが(笑)、
これについてはむしろ、柴田元幸ら他の編者たちの
寛容さを評価すべきかもしれない。