本書は1986年のテキスト『
要説・世界の法思想』の文庫化。
「人類社会には、過去の歴史においても現在の世界においても、法と法思想には多様な
形態のものが興亡し存在している。……どのような法と法思想も民族的文化の表現で
あるかぎり文化的に尊重されなければならない。……そのためには、西洋法思想をあたかも
人類唯一のものであるかのように扱っていた従来の法思想観を的確に批判し、新しい
法思想観を樹立する必要がある」。
本書では、西欧法の歴史を古代ギリシア、ローマへと辿り直すことを契機に、ユダヤ法、
イスラム法、ヒンドゥー法、仏教法、中国法、日本法への比較、考察を重ねた後、
「一国の正統的権威が直接に支持する」国家法と「一定の社会集団の固有文化として
発達した」固有法という二元構造、あるいは世界法などをも含む「多元的法体制
legal pluralism」の相を明らかにする。
「和魂洋才」との表現がその典型、いかに立派な体裁を持とうとも単なるお仕着せの
押しつけが法として社会的に機能しようはずもない。その形式においては西洋法を単に
コピーしたかに見えようとも、そこに世界各地に固有の風土や伝統、道徳などが包摂され、
市民の「まともさ」との調和が図られるからこそ、法は法としてその機能を果たしうる。
当然と言えば確かに当然な、そんな話を豊富な資料を参照して論じた一冊。
書き出しでは「法学部新入生のための講義、基礎法学概論のテキスト」として本書の
企図を明かしてはいるし、国内外における研究の系譜が滔々と論じられてもいるが、
そうした枠組みを越えて、法思想ベースの社会人類学系のテキストとして広く一般に
読まれるべき、そして読みやすい本だとは思う。
ただし、概説書ゆえのディテールのほつれはある程度やむを得ないところだし、
「ナザレのイエスが、義の神ヤハウェを愛の神エホバと変え」などという、セム語系
一神教への根本的な誤解としか見えない記述も存在してはいる。
けれども、法を糸口に世界の文化背景へと切り込む入門書としてこれに代わる書籍を
少なくとも私は知らない。原著の出版から20年以上が経過している今となっては研究が
更新されている部分も数多あろうが、読んで損になるような本では決してない。