主人公の高杉晋作は、幕末きってのヒーロー。
昼は漢詩をよみ、夜は女郎の唄なんぞを作ってドンチャン騒ぎ、
折り畳み式の三味線かついで東奔西走、
ある時はテロリスト、ある時は長州藩のにわか家老に化け、
かと思えば出奔、気がつけば雪の功山寺で藩政府の転覆に向け、半ば絶望的な進軍の号令を下している。
馬面よろしくまるっきり奔馬のような男だが、
父母にはあくまで孝を尽くし、藩主には燃えるような忠を捧げる。
この痛快さ。
まるで拵えたようなヒーロー像。もちろん実在の人物だ。
それが、いわばこの作品の素材が持つナマの魅力で、
司馬遼太郎はこの作品に評論めいた冷静な地の文を配し、
彼らの青春を俯瞰するという態度をとっている。
「まるで拵えたようなヒーロー像」に必要以上に肩入れしなかったことが、
「青春」とは距離を置いた抑制の節回しを作り、世の管理職の皆様方にも好まれる要因になった。
私も、それ行けドンドン式のヒーロー物語でなくてほっとしている。
作品の最後で、さりげなく主人公の享年に触れ、その一生の密度を浮かび上がらせる。
ジーンと来た。
司馬遼太郎の長編の中では目立つ方ではないが、名作中の名作。