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11 人中、10人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
統計データから見える日本の階層,
レビュー対象商品: 不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書) (新書)
社会統計に基づいて、日本の階層を分析した本。日本は社会階層という観点から見たら、どういう社会なのか。階層別に分かれた社会なのか。階層に縛られ、「努力してもしかたない」社会なのか。誰もがそれをどこかで分かっていながら、「努力すれば何とかなる」と考えてやってきた。それが「一億総中流」としての戦後日本だった。
著者はSSM調査という社会調査を用いて、総中流の成立、またその成立の陰で見えにくくなっていた階層差を探る。統計学上の細かな論点は、末尾の解説に回されている。また、階層の流動化ぐあいを見るための様々な統計的指標−−オッズ比、ファイ係数などーーについても、その読み方がきちんと語られている。このような統計に接する際のポイントも学ぶことができよう。 さて著者の結論は、W雇上という分類名の「ホワイトカラー専門職・管理職」が閉鎖的になっている、というものだ。この層は収入も社会的名声も相対的に高い。実は、W雇上の再生産、つまり父親がW雇上で子供もW雇上という割合はそんなに変化していない。また、W雇上の他の層との格差もしかり。問題は、他の層からW雇上への流入が減っていることだ。つまり、「努力すれば何とかなって」W雇上になれる可能性、流動性が減っているということが問題とされている。 こうして再生産されるW雇上の層。彼らは生まれたスタートラインからして、W雇上になる可能性が高い。そして同様にW雇上の層の子供たちと一緒に育ち、他の世界を知らない。W雇上が閉鎖的になるにつれ、自分がW雇上であることの自負すら持たなくなる。かくして、「庶民のことが分からない」無責任な知的エリートが増えていく。これが著者の読みだ。 この日本の階層状況に対して、著者は少しの希望を素描している。それは、カリスマ美容師に象徴される。ブルーカラー労働者がその技能でもって独り立ちしていく様である。だがこれは素描に過ぎないし、本書の範囲では語り切れていない。 本書が描いているのは、ある意味では当たり前の風景だ。サラリーマンの子供はサラリーマンになりやすいし、職人の子供は職人になりやすい。地方の農家から立身出世するストーリーは昔こそすれ、現代では少ない。こういった、ある意味では当たり前の風景を、本書は統計に基づき、きちんとした議論で提示する。もちろん、SSM調査が主に使われる統計であり、一面的な議論という側面もある。だが、徐々に日本でも階層格差が気付かれてきた。そのことにある一定の議論を与えた本書は、価値が大きいだろう。実際、ここで著者が指摘・予想したことは、その後いくつも実現している。本書が描いている日本の社会像を、受け止めるべきは我々である。
27 人中、22人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
エリート階級は相続される,
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レビュー対象商品: 不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書) (新書)
SSMという社会階層と社会移動に関する全国調査の結果を使って,日本の社会階層の時代的変化を分析しています.その結果,エリートの家に生まれることがエリートの一員になるための大きなアドバンテージになっている,そして,昔よりも最近の方がその傾向はますます顕著になってきており,日本は西欧型階級社会に近づいているとのことです.すなわち知識エリート階級というものは相続されるということです.昨今,子どもの学力は親の経済力に比例するとよく言われますが,これは今に始まったものではなく,昔からあったということになります.
SSMは1955年から10年ごとに行われており,著者はこのデータを使って,各世代を「明治のしっぽ」「大正世代」「戦中派」「昭和ヒトケタ前後」「団塊の世代」に分類して分析しています.本書では,団塊の世代の1955年生までしか分析の対象になっておらず,残念ながらそれよりも若い世代がどのようになっているのか,あるいは,どのようになると予想されるのかは,本書から読み取るのはちょっと難しいようです. 統計的に厳密に処理されており,分析は信頼するに足りますが,その分いちいち細かい断り書きが出てきますので,若干難しめの本です.
6 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
エリート層は階層を「自己卑下」でトレードオフする,
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レビュー対象商品: 不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書) (新書)
不況とそれに伴う雇用不安にあえぐ現代日本では、昭和にあった中流幻想の崩壊が叫ばれている。
だが本書は主張する、かつてあったその総中流という社会の内実は、実は想像されているものと少し ばかりちがうということを。本書は、社会学者による日本社会階層論だ。 1955年から定期的に行われてきたSSM調査(社会階層と社会移動全国調査)を主な資料として本書 が明かすのは、自分の力でのし上がってきたがゆえに実力主義の社会を理想としているエリート層こ そ、実は親から受け継いだ目には見えない「財産」によって、いわばしごく当たり前の階層に落ち着い ていたという悲喜劇だ。そして、高度経済成長期に努力してのし上がっていたと思われがちな団塊世代 の時点において、すでに階層を決定する選抜システムは飽和し、閉鎖性が高まりだしたと論じている。 こうした階層化と階層の閉鎖性を是正させるために著者が必要性を説くのが、選抜機会の多元化(要す るに学歴以外の選抜方法を増やす)と、世代間での不平等感の緩和である。その例として「カリスマ美 容師」を使って著者が説明しているの箇所は、今となっては少し時代遅れだがユニークな発想で、詳しく は本書を手に取ってみてもらいたい。 そんな中、著者が論ずるのは「機会の平等」をいかに創出するかである。しかし、議論していくうちに著 者は「機会の平等」が、構造的に「後から」になってからしかわからない、という事実に気づく。なぜなら、 原因となる「今の階層分布」と、結果として生まれる「未来の階層分布」の比較衡量が必要なわけで、 哲学的な命題のようだが、今は永遠に「未来」にはならないのだ。そこで踏みとどまり、「わからない」と 言い切ったところに、著者の知性を感じる。
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