学ばないのも、働かないのも、自分を「消費者」と位置づけているからだ、という主張に、ナゾが解けたような気分になった。
勉強は、最初から消費者として見れば「割に合わない」。これ勉強して何になるのか?が示されていないから。しばらく学んでみないと学びの意義は実感できない。そしてそんな曖昧な商品には、賢い消費者は手を出さない。
大抵の労働も、消費者として見ればやはり割に合わない。サラリーマンは自分が提供した労働以上の給料はもらえない。そうでなきゃ会社に利益が残らず、会社の経営は成り立たないのだから、当たり前だ。そしてそんな自分が損する取引には、賢い消費者は手を出さない。
彼らは怠けているのではなく、勉強も労働も、こういう合理的判断に基づいて積極的に拒否しているのだ、と言われて、深く納得。そしてこういう「消費者」であることに徹した態度によって、学校も行かず就職もせず、自分からわざわざアッサリ経済的貧困に陥っていく。これが「下流志向」。自分では何も生み出さず、何も作らず、目の前にある商品を、その時点で割に合うかどうかで選ぶだけ。
どこかで視点を切り替えないと、世の中は没落貴族のような賢い消費者だらけになってどんどん地盤沈下していくのだろう。だけど、学ぶ喜び、働く喜び、というコトバがかなり空々しく聞こえるのも事実だ。生産者、労働者としての充実感って、あんまりその辺でお目にかからない。むしろ虚しさのほうがずっと目に付く機会が多い。