印象深いところは、尾崎放哉の俳句に「表現に見離され、失語に陥りかけていた」ところを救われたと吐露し、また、歌人岡井隆の「男歌」に魅了されたと語る「うた」の章において、社会学者やフェミニストという立場を越えた、「文学」あるいは「言葉」と対峙する個人としての著者が立ちあらわれている点である。作家作品主義に阻まれた既存の文学評論や、男性中心社会を敵視する旧来のフェミニズム批評からも飛翔した本書は、『成熟と喪失』が著者の言うように「同時代の文学を論じて時代と社会の深みにとどく文明批評」であるのと同じ意味で、優れた文芸時評として成立している。
『男流文学論』は、著者が語るように「フェミニズム批評が『文壇』という池に投げた石」であった。本書はひとりの人間として上野千鶴子が文壇に投じた一石である。(中島正敏) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
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文学/文芸批評が、正統な存在としての「日本の母」とその消滅を語るとき、それらは、消滅した存在の正統性とともに、この二項区分の「土俵」である隠蔽された家父長制をも承認している。この隠された家父長制が「女装した家父長制」である。
「恥ずかしい夫」「自己犠牲する母」「情けない息子」「不機嫌な娘」という産業資本主義下の近代家族的配置のなかで、母は不在の夫になりかわって(正確にはその意図を実行するだけだが)息子のパーソナリティ形成過程に介入する。こうした家父長制を文学/文芸評論は前提しているのだ。
そして精神分析と日本文化論のミクスチャーが、普遍理論の装いのもとでこの配置を保障する。
かくして、文学/文芸批評と精神分析がひらく言説空間のなかで「日本の母」は(その消滅を宣告されつつ)仮構される。
上野の手際はすばらしくあざやかで爽快だ。そして、最後のほうにでてくる
「母親業の放棄?父親業をとっくに放棄したオトコに、そんなことをいう資格はない。倫理?そんなものは犬にでも喰わせろ。」
みたいな啖呵(うろ覚えだけど)を読んでスカッとするのは私だけではあるまい。
数十ページの論文でこれだけのことができる。以前単行本で読んで感動したのを思い出した。
こんな論文が入っている本が文庫で手軽に読めるなんて、しあわせだと思いませんか?
「それだけでいいのかなぁ~?」
と疑問に思っていたので、かなり面白く読めました。
※「作品主義」→大雑把に言うと、純粋に作品のみとりあげ、そのなかで解釈していきます。
私の考えでは、良い作品と言うのは、「才能」だけでなく、「時代性」も
必要なわけで、「時代性」を持っている作品を取り上げ、
社会学的に整理していくのは、別におかしなことではないと思うのです。
圧倒的に面白かったのは、「おんな」の項です。
特に、「女装した家父長制――日本の母の崩壊の章」はとりわけ面白かった。
「連合赤軍とフェミニズムの章」も一切、全共闘時代を知らない私が読んで面白く、
「連合赤軍事件」「永田洋子」を検索し、その記事を全部読んでしまうほど面白かった。
彼女の、文壇に賛否両論を巻き起こしたという、「男流文学論」も読んでみたくなりました。
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