本書は、落語への愛にあふれて清々しい。
大阪落語鑑賞の手人してぜひ身近に置きたい。
東京モンが知っているのは、桂米朝、桂枝雀の二人だけである。
枝雀さんは亡くなってしまった。
笑福亭鶴瓶は落語をやるイメージがない。
ピン芸人のオーディションをやったことがある。
果敢に落語で挑戦した噺家さんがいたが、漫談や、物真似とは同じ土俵では語れまい。
大阪は漫才の街である。漫才は古典など持たぬから、融通無碍に時代と寝る。
古典のある落語はこうは行かない。新作も、何も落語という窮屈な器に盛ることはあるまい。
「古典もできたときは新作」ということをいう人がいるが、それはそうだとして、
その後に何人かの噺かが叩いて仕上げていこうと思えるような、ベースになる魅力のある話がない。
わたしは米朝師匠の『地獄八景亡者戯」が好きである。鳴り物もなって賑やかに、これぞ大阪落語である。