初めて三蔵法師つまり玄奘の伝記を読んだ。この唐の僧玄奘の業績はつとに名高いが、西遊記などで日本ではやや人口に膾炙した向きがないでもない。1986年の初出の文庫化。玄奘の実像に迫りながらも著者の想像も交えての柔軟な筆運びは軽やかですいすい読める。玄奘の背丈は、容貌はという文献からの検討も交えつつ、史実からすれば矛盾するような玄奘の時空を越える超越したイメージも肯定する。通俗的な玄奘のイメージを否定せず、それが生きた玄奘の姿を現代にも甦らせる著者の意図でもあるのだろう。
玄奘のインドへの足跡もある程度丹念に追っているし、現地の取材もあり、当時の中国の歴史やその隣国の状況も言及されている、また帰国後の翻訳事業についても、仏教より道教を優先する唐の皇帝玄宗との確執と駆け引きの末の悲劇も紹介されて、これも興味津々である。
親しみがありながら、その業績の桁外れの偉大さは、本当に度肝を抜くものだ。玄奘がなけれは日本にも仏教の伝来はなかっただろう。とくに唯識経典の布教がある。インドからの超人的な仏典の取経という偉業の奇跡は仏教の持つ普遍性を証するものといっていいかもしれない。玄奘以前に幾多の仏教徒の命が仏典を求めて苛酷な旅の途上で露と消えたにちがいない。おそらく玄奘もそれを承知の上だった。仏教を学ぶ上に玄奘のこうした途方もない冒険、そして実務的な翻訳という、野心と知性が合体した玄奘という歴史的に稀有な存在に現在、思いを馳せることはけっして無駄事ではないはずである。学ぶことは無尽である。それを玄奘は用意したのだ。われわれはそれを虚心坦懐に受けとめなければならない。