1984年の正月が明けて暫くした頃、週刊文春の新聞広告で「疑惑の銃弾」と銘打った活字が目を引いた。週刊文春はオジンの週刊誌であるが、ミステリーに篤かったので、当時から時々買っていた。その広告を見た時、何故か即座に買わねばと思い、実際買ったのだが、この特集は連載だったので、何と3月初めの号まで買うハメになった。
これが所謂私と「三浦和義」事件(若しくはロス疑惑)との出会いだった。最初は美談として目にとまった。
1981年11月。商用でロスに行った日本人夫婦が現地で銃撃強盗に遭い、弾は、夫(三浦)の太腿と妻の頭に当った。妻は植物状態になり、2ヵ月後、米軍の医療飛行機で日本に運ばれ、横田基地からヘリで入院先の病院に着陸するおり、一足先に帰っていた三浦が松葉杖で発炎筒を振りかざして「こっち、こっち!」と泣きながら叫んでいるシーンはテレビ中継され、見た人間の涙を誘い、それは美談になった。
この事は後に、松葉杖をつかなくても立てるほど三浦の足は治っていたし、発炎筒を振りかざす必要もなかったと関係者は言うのだが――。このように、三浦には裏の顔があった。
結局、その年(1982年)の秋に妻は亡くなるのだが、3社から1億5〜6千万円の保険金がおりる。しかし、これは全く妻の実家に知らされてなかった。銃撃事件にしても、犯人が狙うとすれば、反抗してくると推測される男の方の頭を狙い、女は足でもいいと思わないか。実際は逆である。三浦は誰かと共謀して妻への銃撃を頼んだのではないか。
更に銃撃事件の3ヶ月前にも妻は同じロスの、その時はホテルで、ハンマーのようなもので頭を殴られている。犯人は特定されていたにも関わらず、また縫うほどの傷にも関わらず三浦は警察に届けようとはしなかった(殴打事件)。
また三浦は今回の亡くなった妻で3回結婚しており、死亡の半年後(1983年)に4回目の結婚をしていた(亡くなった妻の一周忌も待たずして)。
そして亡くなった妻と結婚する直前(1979年)、三浦は別に結婚を約束していた女性がいたが、その女性はロスで行方不明になり、帰国の痕跡はなく、三浦も同時期に出国しており、三浦だけが帰ってきた。
やがてロス郊外で行方不明の女性が白骨死体となって発見される(1984年)。この女性の死にも三浦が関わった可能性がある。
これらは全て状況証拠であるが、限りなく胡散臭いのだ。1985年9月に三浦は警視庁に逮捕され、殴打事件は有罪が確定し、懲役6年の刑に服すのだが、銃撃事件は最高裁で無罪(2003年)となる。
本書のハードカバー版(1997年)と文庫版(2002年)上梓の時点では、三浦の銃撃事件による無罪判決は出ていないが、島田はシロと結論づける。
全体の構成は、先ずマスコミの視点を最初に描き、続いて三浦の視点を書き、最後に裁判の内容、島田の論評となる。当時、島田の論に不満だったので、私はハードカバー版を買って読んだものの、売り払ってしまったのだが、三浦がサイパンで逮捕された事から、急遽文庫版を買って読みなおした。シロと云う島田の論調を素直に読んでも、やはり、三浦は限りなく疑わしいと私は思う。
余談。三浦は出所後、2回万引き事件を起こしているが、1回目の本屋で万引きをした本は、何と本書「三浦和義事件」(文庫版)だった。
結局、三浦は不審な死を遂げたが、最後まで謎の男だった。