余りに作家個人のヒストリーと長編のイメージが強烈な三島であるが、本書は余り一般的には有名でない小品や評論も含んでおり、結果的にその分この人特有の強烈な「濃度」も薄いため、ライトな読者も読みやすいだろう。ただ、そもそもこの選集の企図した「怪談」として読むと正直余り上手なデキではない作品が多いので、怪奇小説を期待する読者は要注意だ。本書で幾つか取り上げられている狂者オチというのは上手く纏めるのが難しい反面、プロットが何でもありになってしまうため、やっぱり評価は渋くせざるを得ない、というのが個人的な意見なのだが、そんな僕は小説作品よりも三島の評論や編者の解説の方に非常に刺激を受けた。
「作品世界の未来の終末と現実世界の終末が、時間的に完全に符号するということは考えられない」(349p、「小説とは何か」より)と明瞭に書いた作家にとって、この二つの世界の間の緊張において「書く」ということが創作だったという。この言葉は「豊饒の海」三巻の脱稿時の評論のものであるが、ここまで明晰に自分の創作スタイルを意識しておきながら、同四巻入稿時に三島はこの二つの世界を一つに結ぶことを意図したような死を選ぶ。そんな矛盾したメンタリティは独特なオカルト志向にも現れており、「お化けや幽霊を信じていた」(262p)と泉鏡花を揶揄しつつ、自分はというと実生活で澁澤龍彦などを呼んでコックリさんの会を開き、「ニ・ニ六の磯部浅一が邪魔して失敗した」と大真面目で呟いたりしている。(このあたりのエピソードは本書解説に詳しい。)
彼を篠山紀信が写した写真集を思い起こしても分かるように演劇的メンタリティの強い作家だったことは間違いなさそうだが、恐らく本人は大真面目でこの矛盾を生きたのではなかろうか。結局彼が書いた狂気や霊を巡るお話よりも、自身で創り上げた「作家・三島由紀夫」のエピソードの方がよっぽど味が濃厚だという点が、少なくとも「怪談」に関してはこの作家の限界だったのだと思う。