本の表紙に「美しい日本」をめぐる激突とあり、二人の間にどんな激突や対立があったのか、と期待して読んだが実際には生存中には接点がなかったようだ。
司馬遼太郎が三島事件に関して書いた、昭和45年11月26日の毎日新聞朝刊に掲載された批評文「異常な三島事件に接して」を取り上げ、著者が推論を展開していく。
司馬が、三島の自決を「さんたんたる死」と呼び「〜(中略)〜かれの死の薄よごれた模倣をするのではないかということをおそれ、ただそれだけの理由のために書く」と書いた部分を大きく取り上げて、三島を好きではなかった、嫌っていたのでは?と推察している。
三島が自決の際に「天皇陛下万歳」と叫んだ件も、三島よりも2歳年上の司馬は戦車隊小隊長として敗戦を迎え、兵士体験者であったのに対し、三島は病弱で入隊検査をはねられた身で敗戦を迎えた、その違いが肝要であることを暗示。また、三島は革命(西郷隆盛)には興味を抱いたが、政治(大久保利通)には興味がなかった、という点は興味深かった。
二人の兵士としての体験の有無が、彼らの作品や人生観に及ぼした影響を示唆し、司馬は「街道をゆく」シリーズでは、「天皇の物語」を書いていない点を指摘している。
著者は上記の仮説に基づき、二人の作品を通して、相違点を書いているのだが、三島は三島、司馬は司馬で独立して平行線のまま並んでいる。
二人の作家各々の作品に出てくる人物像(西郷隆盛、大久保利通etc)の描き方、取り上げ方から、陽明学、革命・政治に関する思想、文学スタイルの比較も書かれているが、何か無理に二人の作家を結びつけているような感もあった。
二人の作家の各作品の文学論としては面白いかもしれない。
三島事件が司馬作品に与えた影響を、著者が推察して論じている、こういう見方ができるかもしれない、という一方向を示しているともいえる本。
二人とも戦後の日本を憂えていたのは同じ。
三島は特攻隊員になって観念・思想のもと「死にたかった男」であり、自決した。
司馬は大本営参謀からの命令「ひき殺していけ」によって「思想、狂気というものを尊敬しなくなった男」であり、自然な死を迎えた。
この点が二人の男の違いでもあると、著者は述べている。
★の数は、すごく迷った。何をこの本に期待するかによって、評価は分かれると思う。