『水滸伝』や魯迅を翻訳した学者・駒田信二の手による『三国志演義』の抄訳、ということで、類書よりも格段に信頼の置ける読み物として、小学生に与えておくには、あまりに「もったいない」一冊。
大部の原著(翻訳)を読み通す時間もなければ、吉川英治らの翻案作品などに見られる、俗情をあてこんだ「味付け」や「水増し」にも、いわゆるサラリーマン向けの要約書・雑学書にしみこんだ教訓臭や浅薄さにも、いっこう惹かれない、いわば「味にうるさ」く気難しい読者諸賢にこそ、この本を勧めてみたい。
じっさい、目端の利く者なら、「子供向け」であれ「大人向け」であれ、既成の垣根を、決して自明視しないはず。
(しょせん「大人向け」、「ビジネスマン向け」だからといって高級とは限らない)
さて、三国志モノは、とかく、黒々と渦巻く権謀術数や絶え間ない戦闘シーンにばかり目が行きかねないが、この「抄訳」は、公平かつ冷静に、要所を押さえてある。
たとえば、黄巾の乱の首謀者は、「山で薬草をとって生活のたしにしているびんぼう」人であり、劉備は「おちぶれて、わらじを売ったり」していた男であった等々、各キャラクターが、華やかな表舞台に登場するまでの身の上についても、必要最小限、軽く触れている。
今読んでみると、「新撰組」同様、無職・失業者・フリーターまがいの者らが、役所での採用をかちとろうと、稀なチャンスを掴みとり、つかの間、腕に物を言わせて大活躍した後、消えていった、そんな物語なのだということが良く分かる。
すなわち、これらヒーローの心中には、官位に対する憧れと、小役人連中に対する軽蔑の念が交錯しあっており、それを止揚すべく、理想的な「公」精神の体現を独自に追求していった、とでもいおうか。
(もっとも、小学生には、そんなことは分かるまいが……)