絶妙な坪木仁志のつぶやきに何度笑いをこらえただろう。いや、声に出して笑っただろう。真剣な会話の中にコミカルな語り。読んでいて飽きさせない仁志とその周りの人たちとの会話。どこにでもありそうな会話なのに安心させられる、心和らぐ会話は読み手を魅了する。そして、何よりも、重みのある言葉に自分の人生を考えさせられる。
人は皆、自分自身が経験したことのない言葉を発すると、その言葉は説得力のない言葉にしか聞こえない。しかし、逆に、自身が経験したことのある言葉を発したとき、その言葉は説得力のある言葉へと様変わりする。おそらくその言葉には自身が経験したであろう精神が込められ、言葉に重みが増すに違いない。それは多分、年齢とは関係なしに、その人の経験から来る人生観なのだろう。
多くの人々が忘れかけている「師」と呼べる人物が語ってくれた言葉を、佐伯平蔵という人物を借りて、ところどころに出てくる重みのある言葉が織りなされている。いや、佐伯平蔵だけではなく、青年も壮年も、婦人も。
「――現代人には2つのタイプがある。見えるものしか見えないタイプと、見えないものを見ようと努力するタイプだ。きみは後者だ。現場が発しているわずかな情報から見えない全体を読み取りなさい。」と言った、ある植物学者へのドイツ人の師の言葉。佐伯はこう言った。「師の言うとおりにして歩き出した自分の道から一歩も外れなかった。ここがすごいところだよ」と。
師を持つことの幸福、喜び。おそらく著者の経験に基づく言葉なのだろう。そのことを深く、重く感じるとき、不幸とは師を持てない人生を指すのではないだろうかーーそう思ったとき、師と言える存在を持った私は幸福だと思える。