オリジナリティを、ここまで既成概念と厳しく対峙させて維持しようとしている人間がほかにあるだろうか?サッチーの学歴詐称問題といい、森元首相の“家で寝ていて欲しい”発言といい、確かに私も単なる建前論を恰も自分のオリジナリティであるかのように錯覚し、嬉々として井戸端会議に参加していた。太田光の冷めた眼は、冒頭を飾る「ポコとジョン」に最もシンプルな形で現れている。愛犬の死という場面に直面し、「笑ってしまう」という行為は十分私にも有り得ることだが、あったとしても、私のザルのような意識(建前論と既成概念でできている)からはスルリと抜け落ち、決して記憶には残さないであろう。太田光は、事実を見落とす事なく、その時のありのままの自分の姿をくっきりと描いて、まったくためらいが無い。自分のリアクションに驚いてはいるものの、だからどうだという感想は無い。事実を事実として受け止めるとは、こういうことかと思った。そしてその積み重ねが、オリジナリティとなるのだろう。