『公正としての正義 再説』が一国内での政治理論を扱ったのに対して、この『万民の法』はその枠を越えて理論を拡張する試みだ。やはり、その前提の卓抜さがキーポイントとなっていると思うが、この本では、それはこの法の担い手となるのが各国家ではなく各国の民衆(ピープル)である、という一点だ。カントが「パブリック」の概念を逆転させたのと相通じる洞察が窺える。一国内において、「穏当な多元性の事実」が恒久的な前提として立論されていたのだから、各国間の相違も同様に肯定された上で論が成り立つことは見通せた。むしろ困難は「国家」の概念に内包されているのだ。さらに言うなら納税の義務と兵役の義務が生み出す強力な軍備と軍隊が、その強大さによって国益の概念を変質させてしまう点だろう。
『公正としての正義 再説』において、ロールズは財産私有型民主制に踏みとどまり、リベラルな社会主義政体へ移行する必要を認めなかったように、万民の法が機能するために決して世界国家を目指す必要はないと言う。むしろそれは〈地球規模の専制体制となってしまうか、あるいは、様々な地方や民衆が政治的自由と自治の獲得を目指して頻繁に引き起こす内乱によって引き裂かれた、脆弱な帝国支配となってしまうか、そのいずれかに〉帰着するだろうと判断している。
ロールズはこれらの本の中で、自分の仕事は現実主義的なユートピアを提示することであると再三くりかえしている。つまり、そうなることが現実的に可能であると示すのが仕事であって、なぜそうならないのか、という探求はロールズの本の中にはないのだ。したがって、その現実主義的なユートピアへ至るための具体的な方策が述べられることもまたない。読み進みながら、これでは不十分なのではないかと問い掛ける自分と、のびのびと思索できる、いや確かな実在感に触れているという喜びを感じる自分とが、今のところ拮抗している。