「神経心理学者らが言うには、この種の記憶障害にかかると、新しい記憶を取りこむ能力が奪われてしまうのだそうだ。つまり、脳に流れこんでくる情報は、温かな地面に落ちた雪のごとく溶け、なんの痕跡も残さないということだった。話を聞きながら、夫クライヴの症状や行動に実によくあてはまることに気づいた。恐怖のあまり、気絶しそうになった」。
ケンブリッジ大卒で指揮者として活躍中の夫が、ある日、突然、ウイルス性脳炎により海馬が損傷を受け、新しい情報や一時的な情報を記憶する能力がほとんど失われる重症記憶障害に陥ってしまう。クライヴが見聞きしたことを記憶に留めておけるのは、ほんの一瞬なのだ。夫を心から愛している妻は過酷な運命にたじろぎ、絶望の底に突き落とされる――あなたなら、どうする?
『七秒しか記憶がもたない男――脳損傷から奇跡の回復を遂げるまで』(デボラ・ウェアリング著、 匝瑳玲子訳、ランダムハウス講談社)は、難病に見舞われた46歳の夫を支えた27歳の妻の17年に亘る闘病報告である。同時に、愛するということ、また夫婦の絆について考えさせられる本である。