俳聖芭蕉と違って、一茶は親しみやすい俳句を作る俳人であるという常識をもつ我々である。何の説明もない「一茶」というタイトル。上(14章)・中(9章)・下(12章)の名称がない。これは一茶の評伝でもなく、俳句の紹介で終始しているのでもない。風狂の人として全国各地を行脚する放浪人として描かれている。「僧とも俗ともつかない薙髪の男」と原文にある。本書は評伝・伝記ではない。四国は讃岐金毘羅・観音寺、伊予松山に俳諧紀行しているが、こちら特有の地方色は表出されていない。
ないものねだりをしてはいけない。作者の意図したものは、一茶の生き方「むしろ他郷で野垂れ死にすること」を願って旅しながらも、最後は故里にもどり、幾人目かの女を抱いて、六十五歳の生涯を閉じる。一茶の生涯は一体何だったのか。それは俗中の俗に流されながらも、生涯二万句を詠んで後世に残した【風狂人の俳諧魂】ではなかったか。
この小説を結ぶ一文は次のように何事もなかったように、何かの鼓動を感じさせて終る。
雪はまだ降りやまずに、柏原の山野を白く包みこんで動いていた。