出版は平成。インタビューも平成。ただし内容は昭和。いや、場合によっては明治まで遡る。
それができるのも長老同士が対話しているからで、しかもただの長老ではない、当代一を冠し
た名人同士の話は自ずと深まる(米朝の間口の広さに感服)。話者にとっての前提が多けれ
ば、自然、空中戦となり、読者はそれを地上から飽かず眺める構図。これがなんとも心地よ
い。互いが芸道を究めた名人であり、凡人の理解を超えた苦労の先にある境地ゆえだろう。芸
は身についているため当たり前のレベルの違うこと違うこと。しかもさらりと云ってのける。
非凡とか感心するとか言葉をあてがうのはたやすい。しかし、この平然たる境地に至る精進、
研鑽はいかばかりか。我々はやはり地上から眺めるとしよう。木戸銭はゆめ惜しむまじ。
それにしても、皆さん元気だよなぁ、死ぬまで現場なんだなぁ、いいなぁ、いや、良いも悪い
もないなぁ、存在そのものだよなぁ。別の書評でこう書いた、職人は仕事に生き、仕事に生き
ることで人は職人となる、と。芸談はまさに芸を生きる姿そのもの。語られる境地は、その人
がいる限りその人とともにそこにひっそりとあり、その人がいなくなればひっそりとなくな
る。(薄っぺらで安っぽい物言いだが)社会の無形資産だよなぁとの思いを強くする。同じ企
画は恐らく二度と無理だろう。
(私は淡交社版で読んだ)