彼の活動に関して感じることを参考までに以下に記します。
彼が努力の末にやりたいことを達成し、その結果沢山の方たちが感動し、人生に希望を持つことはすばらしいことだと思います。
しかしその活動内容に関する表現のしかたには問題があると感じます。
”単独”
栗城さんは”単独登山”ということをさかんにアピールしているように見受けられます。
しかし実際のところ本当に”単独”と言えるのか私には疑問です。
登山の世界で”単独”というのは麓(ベースキャンプ)から山頂まで全て一人の力だけで登ることを意味します。
全て一人の力で、ということは無線で他者の指示を仰ぐことも無し、他人の設置したロープを掴むことも無し、もちろん山頂に到達する日以外も全行程、一人で荷物を運ぶのです。
栗城さんは私の知る限りそのようにして登ってはいないようです。
沢山のサポートメンバーから物資の補給を受けながら登っています。
一方で、まったくサポート無しに(しかもより困難な岩壁から)登山を行っている数少ない日本人に山野井泰史さんがいます。
彼は一般社会では無名ですが、登山界では国際的に非常に著名な登山家です。
山野井さんはこんな逸話を残しています。
単独行の下山中、他の登山隊のテントの前を通りかかり、激励がてらお茶をすすめられた時にこう聞いたそうです。
「このお茶飲んでも単独になるかな?」
つまり、他人の用意したお茶を飲むことで他人の手を借りたことになりはしないか心配したのです。
ソロクライマー(単独登山家)が”単独”ということをどれほどシビアに捉えているかお分かりいただけるでしょうか?
参考までに山野井さんの著書を以下に付しておきます。ぜひ一読されることをお勧めします。
垂直の記憶―岩と雪の7章私は彼の努力を認めます。
8000m峰の無酸素登頂は目新しいことではありませんが、栗城さんはマナスルからのスキー滑降などの成果もあげており、山好きな人間の一人としてたいしたものだとは思います。
しかし間違った表現を使って一般の方々の認識を都合のいいように捻じ曲げてしまうのは賛成できません。
日本にも彼より遥かに困難な登山を実践している無名の登山家が大勢います。
謙虚に、嘘をつかず、困難に挑戦するそれらの人たちを侮辱するような表現は控えてほしかった。
そういったことを踏まえた上で読んでいただけたらと感じました。