私が小学生の頃、18才でA級八段、20才で名人位挑戦者となり「神武以来の天才」と呼ばれた棋士がいた。加藤先生その人である。名前の珍しさと、新しいヒーローの誕生の予感により、すぐさまファンになった。本書は加藤先生が将棋人生を振り返った謹厳かつ抱腹絶倒の物語である。
編集者も心得ていて、冒頭に「ザ・加藤一二三伝説」なるコーナーを設けている。「滝止め伝説」、「うな重伝説」、「対局中聖歌伝説」、「板チョコ伝説」、「7時間長考伝説」、「棒銀こだわり伝説」、「空ぜき伝説」等々。これらに対し、加藤先生が丁寧に解説する様は堪らなくオカシイし、また、これらの伝説に嘘が含まれていない点が怖い(?)。対局中、相手の背後に回って盤面を反対方向から見るくらいでは「伝説」にならないのであろうか。続いて本題の自身の会心譜の解説である。しかし、自身の会心譜を「名局」と言い切ってしまう辺りが凄い。どの解説でも一手々々に賭ける情熱に打たれるが、同時に裏にあるキリスト教への厚い篤心にも改めて感心した。個人的には、大山名人との十段戦第七局、中原名人から名人を奪取した第十(!)局が心に残る。特に、後者は神が加藤先生に微笑を与えた一局だと思う(素人目にも最後は中原のポカ)。この後、エッセイが続く。キリスト教と音楽に関する話が多いが、映画「アマデウス」を観て、モーツァルトの多彩な曲を聴くようになったと言うエピソードは興味深い。宗教と音楽が将棋を支えていると言う構図が窺える。出版本の印税についても触れている。印税はともかく、加藤先生の「振り飛車破り」は若手プロの間でも必読の書とされ、研究成果の記録者としても貢献度が高いと思う。
実は私は今では羽生のファンなのだが、加藤先生のような強烈な個性の持ち主は勝負の世界に必要だと思う。棋士全員がミニ羽生になってしまっては物足りない。愛すべき加藤先生、これからも「うな重」を食べて頑張って下さい。