著者の竹田氏は1929年生まれの開業医だそうだ。
一見、物好きの爺さんが道楽で書いた書物のように見えるが、どっこい誠実な内容であった。
理系の人間が『日本書紀』に挑むと、こうも斬新に史実が浮かび上がってくるのか。
私のような数字に弱いガチガチの文系人間は逆立ちしても思いつかない解読法である。
相当な衝撃を受けた。
私は歴史好きなくせに、近代史以下の時代はどうも胡散臭く感じられ興味が持てなかった。古代史となれば尚更である。
歴史マニアが想像をたくましくロマンに浸る非科学的な分野だと軽蔑していた。
しかし本書は、そうした偏見を一掃してくれる。
特に斬新な点は、「呉軍渡来説」であった。『魏書』ではなく、『呉書』に目をつけた所がまず素晴らしい。
著者によると、中国大陸の戦いで敗れた呉人たちが日本列島へ敗走してきたのが、
弥生から古墳時代へ転換した原因であった。
これは、共産党に敗れた国民党が台湾島へ逃れた歴史に似ているから、信憑性がある。
著者はまた、歴史学的根拠に考古学的な視点も加え、この説を補強する。
最近、「NHKスペシャル」を見て、マキムク遺跡で銅鐸が人為的に破壊されていたことを知ったが、
これは倭国が呉軍によって征服された歴史を証明するものなのかもしれない。
「呉軍渡来説」によって、これまで誰も書かなかった「南東ルート」が指摘され、
またそれによって『書記』の日向での天孫降臨という「神話」が史実として浮かび上がってきた。
つまり、神武天皇の存在が現実味を帯びてきたということである。
弥生から古墳時代への転換は、倭国における王朝交代であったといって良いのかもしれない。
さらに、『書記』神話を復元する数学公式を発見した点が、何といっても本書の一番の功績である。
これによって、謎に包まれていた4世紀の日本史が鮮やかに現れた。
『日本書紀』は出鱈目な神話なのでなく、史実を作為した書物なのであった。
なぜ、作為せざるを得なかったのか。
それは、中国の歴史書と辻褄を合せながら、それでいて自分たち(持統帝や藤原不比等ら)の
支配権の正当性を内外に知らしめるものでなければならなかったからである。
『書記』がなぜ書かれたのか。そこから取り掛からないと、謎は謎のままで終わってしまうことを知った。
奈良時代の知識人たちは、様々な学問の分野で想像以上の知識を持ち合わせていたようだ。
だから、歴史学の分野においても、知悉していたはずである。
しかし、彼らはそれを隠してしまった。
権力の源泉として利用するだけで、民族的な来歴を後世に残そうとはしなかった。
むしろ、歴史は自らを縛りつける邪魔な存在として位置づけられていたのかもしれない。
それにしても、『日本書紀』に史実が眠っているはずだとする著者の視点は面白かった。
新進気鋭の若い学者かと思いきや、専門外の老人が書いたと知り、本当に腰が抜けそうになった。
でも、だからこそ、説得的な論述ができているのだと思う。
戦時を体験し、日本社会に違和感を持ち続けてきた著者の鬱屈した感情が、文章中からヒシヒシ伝わってくる。
そうした思いが原動力となって、医業を続ける傍らで誠実な『書記』研究を大成できたのであろう。
津田左右吉、本居宣長、田中智学への嫌悪感が随所に書かれており、その記述のために1章分(第14章)割かれている。
むしろこの章が書きたいがために『書記』を研究していたのではないかと思えるくらいだ。
だから一方で、本書は純粋な研究書とはなり得ないし、そこが残念な点である。
他のレビュアー(カカオさん)が指摘したいくつかの箇所は私も疑問を持った。
多少、説明が強引に思える点が認められた。
なぜ、「601年」が辛酉の年の起点となったのか。説明されていないのも物足りない。
推古天皇の時期には疑義が呈されているし(岡田英弘『日本史の誕生』)、
皇位継承をめぐって何かの事件があったのかもしれない。
加えて、本書は触れていないけれども、『書記』にはなぜか記載されていない史実として、
600年の遣隋使派遣があるから、この時の文明格差の衝撃が起点となったものと考えられる(吉田孝『日本の誕生』)。
それに、先述したように、最後の14章は本書の価値を下げている。
それはそれとして、別に書けば良かったと思う。
ただし、本書が一読の価値のある本であることには変わりない。
閉鎖的な日本の学会が本書をどう評価しているのか。気になる所である。
門外漢の老いぼれが書いたトンデモ本として黙殺されていそうで気がかりだ。
私が思うに、出版社の売り方が悪い。
この物々しい本のタイトルはセンスに欠けているし、これでは専門家から忌避されて当たり前である。
興味本位で飛びつく一般人にしか読まれないだろう。
もったいない。これでは著者の功績を殺すことになる。
講談社あたりが学術文庫か現代新書で(タイトルを変えて)再販したら物議を醸すのではないだろうか。
この達見が、埋もれてしまわないように祈るばかりだ。