一体これは何なのだ、とつぶやくだろうね、一読して、この小説を読んだあなたは。もちろん本当に声に出して、一言一句、口にするということはしないだろう、一種のレトリックなのだから。
ダッシュ(「――」)で示される語り手と、「そうです」「ええ」「たしかに」「そのとおり」という、二・三程度の意味しかない機会的な相槌を打ち続ける答え手。
一方的に語り続ける彼(?)は、一種おそろしくくだらないようなエピソードを大真面目に語り、ふくらませていく。無数の一と二と三が散りばめられた文章によって。「ワン」カップ大関と「ニ」ット帽と「サン」ダルが散乱する世界で。そして一向に結論じみた場所へはたどり着かない。
第一作「読み終えて」と同じく、語り手の目前一センチでリアルタイムに「小説」が生まれていく、それを一緒になって読者も追いかけていく(『アクロバット前夜』の、一文が延々と一行に続いていくあの装丁ではなおさら)、福永信一流の、独特の読書感覚がこれにもある。一センチ先、それより先は、無、一切、なにもない。
本のつくりがこだわっていて、奥付もすさまじいが、一番後ろのページ数にも一見の価値がある。雑誌掲載時から一目瞭然といえるほど改稿されているので、読み比べてみるのも一興だ。
最後に、一言だけ。元々は「一一一一」というシリーズだったのだが、単行本化にあたってタイトルが『一一一一一』に。これは縦書きだと、「三・一一」に、「3.11」になる。あ、あざとーい! と、思わず、つぶやいてしまった、そう指摘しておくべきだろう、一応。