カラヤンと聞くと、感覚的な美しさばかりを追求し、内容を伴っていない演奏が多い、と散々に貶す人もいるが、残された録音を聴いてみるとそれは一面に過ぎない。先入観を持たずに対峙すれば、これほどアンサンブルの徹底した洗練された演奏はそうざらにないであろう。それを好ましく思わない人もいるが、それは好みである。カラヤンのような指揮者は、そのレパートリーに対して自分を合わせるのではなく、自分がレパートリーの曲を支配し、思うように演奏するタイプである。それゆえ、カラヤンの表現と曲想がマッチした場合は非常にレベルの高い演奏をするのだが、そうでない場合はアンサンブルの精度が高くても内容が空虚なものとなってしまう。
カラヤンはバッハを含めて、バロックの曲を幾つか録音しているが、私はほとんど聴いた事がない。しかし、今回、このヴィヴァルディの「四季」、コレッリの「合奏協奏曲」を聴いて、決してカラヤンがバロックに不向きではないという事を理解した。近年は、古楽器で演奏するのが主流のバロック作品であるが、録音された1970年代初頭の頃はまだ現代楽器で演奏されていただろう。古楽器の軽快かつ静謐な演奏も悪くはないが、カラヤンのように流麗で響きの豊かな演奏は曲によって印象が大きく異なる。「四季」の「春」の第一楽章はやはり豊かな響きで聴きたい。一方、第三楽章では若干リズムが重く感じる。バロック時代の曲は、それ以後の曲とは異なり、音楽そのものとして美しい作品が多い。つまり、音楽以外の余計なものがない。また、演奏者が考慮する必要もない。楽譜に描かれている音楽をそのまま再現すれば、自ずと美しい演奏となる(バッハは若干違う)。カラヤンはそれを心がけているように思う。洗練されているが、不自然さは感じられない。コレッリはとても美しい演奏だと思う。かのキリスト降誕を祝う「パストラール」はとても甘美で、このディスクの最後を飾るに相応しい。
余談であるが、このジャケットもまた暗示に富んでいて面白い。近年の演奏のCDのジャケットのほとんどは演奏者の写真になってしまったが、この頃のCDは、演奏も含めて魅力的なものが多い。古楽器が主流の現代において、カラヤンのような一つ前の時代の演奏は貴重である。今後もカタログに残り続けて欲しい。