90年発表のピンチョン4作目の長編小説です。ピンチョンは高校生の頃、「V.」を読んだのが最初で、以後翻訳された順に読んだので、この作品も98年に読みました。「コンプリート・ワークス」で刊行される前に予習のつもりで、いま一冊ずつ読み返しています。百科全書的な「重力の虹」に比べると、明らかに読みやすく、17年ぶりの新作に過剰な期待を抱いていた人にはかなりの肩すかしだったと思われますが、正直「重力の虹」はあまりの長大さが手に余り、途中から自分がなにを読んでいるのかわからなくなる瞬間さえあったので、この「ヴァインランド」のポップさは新たなピンチョン体験でした。今回は読み終わった直後に、ネットで見つけてプリントアウトしておいた、「新潮」1999年3月号の書評や、いつか読もうと買っておきながら結局今日の今日まで手に取ることのなかった木原善彦氏「トマス・ピンチョン ー無政府主義的奇跡の宇宙」を読んでみました。すると、なんとまぁ、どこをどう読んでいたのかと我が身が情けなくなるほど、教えられることが多かったのですが、ただピンチョンを読んでこれほど笑った作品もなかったので、個人的には楽しめたように思います。構造的には、ほかのピンチョンの作品にも共通して言えることだと思いますが、二項対立の図式を常に念頭に置いて読むと細部に至るまで明瞭に読みこなせるような気がします。あらすじについては要約を拒むような作品なので触れませんが、個人的に情けなかったのは、8ページのデズモンドのドッグフードとブルージェイのエピソードが、573ページの「(デズモンドが)ブルージェイの羽毛を顔面にいっぱいつけて、」につながってきたのは気づいたものの、実家の飼い犬の食べ残しをすずめが集団でつついている様子を満腹で横になった犬が追い払うでもなくぼんやり見ていたという個人的な懐かしい思い出に引っ張られて、「ブルージェイとどこかで遊んできたのかな」とか暢気に考えてしまったことです。ここの解釈や、なぜブロックがヴェイトとブラッドによって死に誘われたのかは、前述の木原善彦氏の著書に教えられました。しかし、志村正雄氏の「解註」の倣いに従ったと思しき佐藤良明氏の手になる「『ヴァインランド』を楽しむための訳者ノート」は、「いくつか〈読み〉を誘導するような註もあって、少々鬱陶しかった」とする向きもありますが、悪のりと受け取られかねないところもありつつ、なにより本作を楽しんでいる、訳者の高揚感のようなものが伝わってきて、なにかと神経をすり減らしそうなピンチョン作品の翻訳に対する労いの意を込めて、これくらいの遊びは許されて然るべきだと思いますし、正直とても楽しめました。ただまぁ、スペイン語訛りの英語の猥雑さを狙ったのはわかりますが、それでもやはり大阪弁は読みにくかったです。