最近日本の貧困問題に関する本を読む機会が増えてきた。
日本は豊かな国だと言われる。僕自身、今住んでいるインドネシアと日本を比較すると、日本の方が遥かに豊かであるように見える。但し、日本の貧困関係を考える機会が増えてきた中で、インドネシアに対する見方も変わってきた。
インドネシアでは路地や田舎道の傍にも小さな商店がある。屋台に毛が生えた程度の店で、食料品や簡単な食事を出している店だ。大体、女性が一人で切り盛りしているが、それで生活が成り立っている様子に見える。片や「シャッター通り」と言われるように、日本では中小の商店街で生活を成り立たせることが難しい事と対照的だ。これを見ていると、インドネシアの方が経済的にも豊かであるのではないかとすら考えてしまう。
そもそも「豊かな生活とは何なのか」という地点から考えなくてはならない。本書で紹介される「ワーキングプア」の例を見ていると、まず貧困があることが分かるが、それ以上に、その貧困が原因で、人間としての尊厳を自ら持ち得なくなっている事態が見えてくる。仕事を通じて、自分が社会に貢献している、社会から認められているという感覚を得られるとしたら、その機会が失われつつあるのだ。本書の底辺には、そんな喪失感が流れている。
インドネシアの屋台をやっている人も決して裕福ではないだろう。しかしかような「喪失感」を感じさせることはまず無い。勿論、外国人である僕には実態は分かりようもないが、少なくとも彼らの顔を見る限りでは、間違っても絶望感は読みとれない。その意味では「上から目線」かもしれないが、インドネシアの方の方が、「豊か」であるような気がしてならない。
GDPというような数字を追う中で、見失った物があるのではないか。それがここ数年の貧困を巡る議論だ。「見失った物」が見えてきただけでも大きな進歩だろう。正に日本は正念場を迎えているのかもしれない。