「機械に対する怒り」を封印した後も音楽活動は続けてきたものの、新しく、明確なステートメントをなかなか発信せずにいたザック・デ・ラ・ロッチャ。昨年再結成を果たしたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンからも、未だ新しい声明は届いていない。ある意味そんな「眠れる獅子」と化していた彼から、本当に久しぶりの肉声が届いた。元マーズ・ヴォルタの天才ドラマー、ジョン・セオドアとの、嘘みたいな、夢みたいな新プロジェクトによるミニ・アルバムである。レイジ解散以来、実に八年越しの「今」の言葉による明確な意思表明となる作品である。しかし、ザックのラップ・スタイルは、八年という不在がまるで最初からなかったものだったかのように、なーんも変わっていない。もちろん成長していないという意味ではなくて、正確に言うなら、ザックは未だにこれにこだわっている。例えばレイジの一員としてのザックにとって、ラップ・メタルというものがただの音楽スタイルのひとつに過ぎないとすれば、レイジの音楽性はもっと大胆に振れ幅を広げることができただろう。それなのにザックがラップ・メタルにこだわり続けたのは、トム・モレロの独創的なギター・スタイルの存在と、彼が「歌う」という意味こそが、レイジというバンドの必然だったからだ。ザックにとって「歌う」という行為の最も根本的な動機は、言うまでもなく「主張」である。思いを正確に主張できなければ、彼の中に渦巻く灼熱の怒りは、説得力もリアリティもその熱ささえも失ってしまう。だからこそ、ザックにはラップという膨大な言葉と情報を駆使するハイレベルな言語能力が必要だった。それが、やはり変わっていないのだ。セオドアのドラムは今のザックにとってトム・モレロのギターにもかわる、自己を闘争のど真ん中へと放つゲリラ戦車なのだろう。ザックは、終わりの見えなかったかつての闘争の果てしなさを、その変わらない言語スタイルと鋭い言葉によって、再び引き受ける決意を表明した。マイクを固く握り締め、世界に拳を突きつけるロックは、やはり今というこの時代の必然でもあるからだ。世界よ、今こそお前の敵を知れ。