虐殺・略奪・暴行・劫掠・都市抹殺・民族浄化・農地の砂漠化・海賊行為
優秀な能力で私腹を肥やす官僚機構・過酷な重税・農奴と化す自作農の人々
神を愛するあまり人を憎む一神教・破壊の限りを尽くす宗教紛争・・・
いつのまにか消え去るローマが霞んでしまうくらいの、
目を覆いたくなるような第15巻だった。
世界標準ではこれが普通の歴史なのだろうか。
日本の歴史というのは特殊なのだろうか。
***
ところで、この15年は至福の15年だった。
読了した瞬間から早くも、次の巻が待ち遠しくなる。
まるで、小学館のまんが日本の歴史(児玉 幸多, あおむら 純)
の次回配本を心待ちにした、少年の頃に戻ったかのようだった。
小学館の日本の歴史は月に一回の配本だったが、ローマ人は年一回である。
いろいろと想いを巡らせた。
表題はどうなるだろう。表紙は誰になるのか。どの肖像を使うのだろうか。
あの人物はどう描かれるのか、ゼノビアは、ユリアヌスは、・・・
かの事象はどう扱われるのか、作者の解釈は、文章力による料理法は・・・
できれば、いろいろ文献を読んで予習したかったが、
この15年、ぐっと堪えて、殊更に何も読まないようにした。
新鮮な、まっさらな状態でローマ人を読みたかったからである。
誘惑と戦いつつ、受験レベル程度の最小限のカタログ知識に留めるよう努めた。
だから、毎年の濃い内容が面白いの何の(笑)
そして出版の2〜3カ月前にもなると禁断症状がでてくる。
「まだか」「ローマ人はまだか」「はやく読ませてくれ!」「もう限界だ」
こうして待ちに待って、満を持してローマ人を読む。そんな15年間だった。
また、少なくない人が本書から人生のヒントを得たと確信する。
私個人も、仕事に、プライベートに、多くの知恵をいただいた。
平成17年当時、小泉純一郎総理は解散総選挙に打って出たが、
ローマ人の読者なら、どこかで見た光景と思ったはずである。
元老院議決を諦めた執政官カエサルが、ホルテンシウス法を根拠に市民集会で
ユリウス農地法を強行突破したあのスタイルを、一つの参考にしたのではないか。
ちなみに小泉前総理は塩野先生の大ファンだという。
塩野先生の自益、関係者の他益、多くの読者の公益、見事に適う15年だったと思う。
知性、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、そして持続する意思、全てが
揃わなければ有り得ない15年でもあったと思う。(作家にも必要な資質だったのだ)
カエサルなら「七生、お疲れさま」「体調は大丈夫?」と、ハグするのではないだろうか。