13巻「最後の努力」を読んだ後、11巻の「最後の努力」を戻ってみた。時代はまだローマ全盛期とされる五賢帝の時代。しかし塩野さんは五人目のマルクス・アウレリウスを「賢帝」とは評価していないようで、この前の時代にあたる「賢帝の世紀」とは別巻にしている。ただ3世紀から2世紀に戻ってくると、随所にローマらしさ、ローマらしい強さやしなやかさがちゃんと残っていることに気付く。
ゲルマン民族の大移動の予兆ともいえる動きが始まり、東方ではパルティアが衰退していったこの時代、マルクス・アウレリウスは弱き心を叱咤しながらドナウ河畔で戦い、そして夜には一人自省する。現代で言えば、ブログやツイッターを書き連ねるようなものだろう。良き心は充分に持っていたのだろうが、残念なことに武将としての資質には欠けていたようで、10年かけてもドナウ河戦線を収めることができなかった。そして何より、資質を冷静に推し量ることがないまま長男を後継者にし、死後10年の混乱の結果、軍人皇帝時代を導くことになった。それらがローマ帝国の「終わりの始まり」とされる所以だろうか。
中国では秦漢王朝の最後、後漢の滅亡期にあたるこの時代。ローマ帝国はまだ充分に力を保っていたが、セヴェルス帝期以降は随分と違った色合いになっていく。その責任を軍人皇帝に押し付けることは簡単だが、根底にはローマ本国人たちの気力の低下があったことは、塩野さんも本文中で指摘している。この後を読み進むのは、ちょっと気が重い。