帝国の統治システムを強化し、安全保障にも尽力したにもかかわらず、なぜ市民や元老院からの憎悪の対象になったのか。(著書の帯より)
「学者ではない私自身の人間性への観方だが、ローマ史を書きつづけるに際して私が、自分の判断の基準にしたことがある。それは、最高統治者である皇帝が成したことが共同体、つまり国家にとって良いことであったか否かを判定するにあたって、(中略)その皇帝の後につづいた皇帝たちが、彼が行った政策ないし事業を継承したか、それとも継承しなかったか、のほうを判断の基準にすえたのである。」(143頁)「では、このネロと同じく死後に「記録抹殺刑」に処せられたドミティアヌス帝の業績の評価は、どうなされるべきであろうか。私がこれまでに述べてきた彼の業績のすべては、法律実施の際の厳格すぎた点はゆるめられたにしろ、彼以後の皇帝たちにも継承されていくのである。(中略)だが、これらのどれにも増して特筆に値するのは、ライン河とドナウ河の両防衛線を連結することで防衛上の機能性の向上に功あった「リメス・ゲルマニクス」(ゲルマニア防壁)の建設であろう。これは、タキトゥスのような文人には無視されたが、ドミティアヌス以後の皇帝たちでその補強に心を使わなかった人はいない。」(146頁)
「まったく、運命とは何が機縁で変わるかわからない。人間の運不運を、幸運の女神の気まぐれの結果にしたがる人の気持ちもわからないではない。(中略)しかし、トライアヌスよりは二歳年上でしかなかったドミティアヌスには、幸運の女神は微笑まなかったのだ。」(134頁) 運命の機縁とは、意識するしないに拘らず、誰もが直面してきたに違いない。「いつも考えていることだが、物語るに値する行為を成す才能か、読むに値することを物語る才能かのどちらかを神々より与えられている人は、ほんとうに幸運な人だと思う。だが、より大きな幸運は、その双方ともを与えられた人だ」(28頁)